原爆の惨状伝える広島の被爆建物、解体の危機から救いたい…署名サイト立ち上げに関わった女性の思い

川上 隆宏 川上 隆宏

日本最大級の被爆建物が解体の危機に直面していたことをご存知でしょうか。広島市南区出汐町にある「旧陸軍被服支廠(ししょう)」。爆心地から南東約2.7キロの場所にあり、今も曲がったままの鉄扉がそのまま残されるなど、原爆の惨状を物言わずに物語る貴重な建物です。これまでも保存を訴える活動が行われてきましたが、被爆者たちの体験を聞く活動などをしてきた20代の女性ら5人で立ち上げた署名サイトをきっかけに、解体を見直す機運が高まり、広島県が解体の着手を1年間先送りすると発表することになりました。サイトを立ち上げた経緯などについて、活動に関わる女性の1人に話を聞きました。

解体されようとしていたのは、1913(大正2)年建造の鉄筋コンクリート造りの赤レンガ張りの建物です。旧陸軍の衣類や装備の調達・保管などを行っていた「被服支廠」の一部で、現在はL字型に4棟の建物が残っています。そのうち3棟を広島県が、1棟を国が管理しています。これまでも学生寮や物流倉庫として使われてきましたが、ここ20年ほどは特に活用されることなく放置されてきました。

築100年以上が経過して建物の老朽化が進む中、広島県は 2019年12月、所有する3棟について1棟を改修・保存する一方、2棟を取り壊すという方針案を発表しました。「震度6強以上の地震で倒壊・崩壊する可能性が高い」との耐震診断が出ている一方で、補修・維持する財源の確保も困難で、実現可能な方法を探った結果とのことでした。耐震性について周辺住民から不安の声が上がっていることもあり、2020年度からの事業着手が予定されていました。

しかし、その案に被爆者団体を始め多くの県民らから反対の声が上がります。「旧陸軍被服支廠は多くの人たちが保存・活用をするべきだと訴えてきた場所。すでに重要性は認知されているだろうと思っていたので、突然解体される案が出てきて…。本当に驚きました」と話すのは、松本渚さん。大阪大学大学院の博士課程で、被爆者たちの体験について研究しています。同世代の仲間たちと、解体に反対し全棟の保存を求めて12月10日、署名サイトを立ち上げました。

署名サイトには立ち上げからわずか5日間で、1万2000通もの署名が寄せられます。集まった署名は、年内の県議会開催に間に合わせるかたちで急きょ12月16日、広島県に提出されました。「解体ありきではなく、保存を視野にいれた議論をしてほしいとお願いしました」。

その後、県が1カ月の期間を設けてパブリックコメントを募ったところ、2444件のうち約6割が解体計画に反対という結果に。活動の広がりを受け、広島市長や県議会議長も見直しを求めたり、国会審議でも取り上げるように。こうした状況を受けて、広島県は2月17日、「十分な議論の時間を確保する必要がある」と、2020年度の当初予算案に関連費用の計上を取りやめ、解体着手を先送りをする方針を正式表明しました。

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署名サイトの立ち上げからわずか2カ月ほどで流れが変わった被服支廠の問題。「署名を出すときも、年内の県議会に間に合わせるなど、県の予算策定過程にあわせて行動した結果、テンポの速い活動になったと思います」と松本さん。まさに市民の声が集まることで行政を動かしたといえますが、ここまでスムーズに見直しが進むとは考えていなかったそうです。活動は手探りだったといいますが、大事にしてきた「思い」があったといいます。

松本さんたちは、署名活動をすすめるのにあわせて、保存にまつわるいろいろな動きを整理してSNSなどで発信してきました。

「これまでも被爆者たちや、地元の建物の魅力を伝える団体などが、被服支廠を守る活動を続けており、歴史的な価値を訴えてきました。私たちは被服支廠の大事さを知る者として、そんな情報のハブのようになれたらいいなと…。専門家の方たちをはじめ多くの人たちとつながるきっかけを作れたら、と思ってきました」(松本さん)

被服支廠は被爆者たちに体験談を聞く中で、よく取り上げられる場所でした。原爆投下による倒壊や火災を免れた建物は、臨時の救護所として多くの被爆者が運び込まれました。建物で働いていた人がそのまま救護にたずさわったり、たくさんの人が亡くなる様子に立ち会うことになったり…数々の人たちのさまざまな記憶がつまった場所でもあります。

また、建築の専門家によるとこの建物は「国内でも珍しいれんがと鉄筋コンクリートが共存する建築物」なのだそうです。被爆にかかわらず近代建築を物語る貴重な歴史的資産ともいえるのです。

「難題を解決するためには、一緒に知恵を出し合える議論の場が一番必要なのではないかと…。保存・活用に向けた議論をできるだけ多くの人と一緒に進めたいと思って活動してきました」

一方で、建物の解体は「着手が見送り」となっただけで、計画自体が変わったわけではありません。広島県は早ければ2021年度からの事業実施を目指して広島市や国も交えた協議を行いたい考えで、これから「1年の猶予期間」は、施設の未来を探る正念場となります。

「これまでも地元の有志らが建物の活用案を提案してきたことはありますが、現時点ではなにも決まっていません」と松本さん。活動を支援する人たちからは、国内外から詳しい人たちを呼んでシンポジウムをするなどして検討していけばよいのではないかといわれているそう。被爆という大きな記憶を抱えた場所のため、芸術や文化の拠点として整備したほうがよいのではないかと思いを話す人もいるといいます。

一方、建物には耐震性の懸念もあり、近隣住民の不安を考えれば、いたずらに時間をかけることはできません。広島県は県所有の3棟すべてに耐震改修を行う場合84億円が必要になると試算しています。施設の活用を含めたリノベーションまで考慮すると100億円規模の金額が必要という声もあります。費用をどう捻出するのか、文化財保護の枠組みが適応できないかなど、地元では検討が始まっているといいます。

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解体の方針案が発表されたあと、戦時下の広島・呉を描いた映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の片渕須直監督も現地を訪問。被服支廠について「広島だけでなく人類全体のもの。僕たちのものでなく未来の人たちのものだ」などと保存の意義を強調していました。

世界遺産として知られる「原爆ドーム」も、広島市議会が永久保存することを決議するまで、26年かかりました。「今解体してしまうことは簡単でも、それが正解かどうかは時間の経過の中で変わってくることもあります。この建物の存在がより多くの人たちに知られることで、保存することの意義やこれからの活用法について、対話が生まれるきっかけになればと思います」と松本さん。終戦から75年がたち、被爆者たちも高齢化が進んでいます。被爆や戦争を伝える「証人」を将来にどう受け継いでいくのか…本格的な議論は始まったばかりです。

■署名は開始から2カ月たった現在、約2万2000人以上が賛同しており、現在も受付中です。CHANGE.ORG「現存する最大級の被爆建物・旧広島陸軍被服支廠倉庫を全棟保存してほしい」→こちら

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