先日、テレビのロケでポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ博物館を訪れました。第二次世界大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺の象徴で、10年以上前に米国のホロコースト記念館を見学して以来、ずっと行きたいと思い続けてきた場所でした。
何より驚いたのは、その展示手法。私も色々な戦争関連の資料館を訪れてきましたが、どうしても「いかに酷く恐ろしいか」が強調され、その背景へと“誘導”されがち。でもアウシュビッツでは幾千の犠牲者の靴、義足・義手、メガネ、髪の毛などが淡々と展示されています。物言わぬ遺品、圧巻です。最初にガス室送りとなったのはお年寄りや女性、子どもだったこと、到着してすぐ8割がガス室で機械的に殺され、身元が分からず130万ともいわれる被害者数は文献などによっては大きな差がある事...。おしつけがましい説明は一切ありません。ただ「ここで起きたこと」が眼前にあるのです。
実は収容所のユダヤ人の中にもヒエラルキーがありました。あのアンネ・フランクのいた大きな建物も暖炉は一つだけ。そのそばで寝られるのはナチスとつながったヒエラルキーのトップの人間です。生き延びるため密告し合い、抵抗運動も潰された。解放された人の中にはその体験を語れない人もいたそうです。「ナチスだけが悪いのか?」。展示は人間の一番暗い部分を問い掛けます。
昔、学校ではユダヤ人大虐殺はナチスの人種主義思想が引き起こしたと習いました。でも、それは後世の人たちが納得するための説明で、当時ユダヤ人は世界中で嫌われ「劣った民族」とされていたと説明を受けました。ロマ族(ジプシー)の人達もです。では、その優劣を決めたのは一体誰なのでしょう?
ちなみに、ガイドは唯一の日本人公式ガイドの中谷剛さん。関西人なのでつい「ガイドの仕事はもうかるんですか?」と聞いたら「もうかりますかいな」と一蹴(笑)それでも「ここで起こった事をできるだけ正確に後世に伝えたい。子どもも大人もみんなに考えて欲しい」とおっしゃいます。大声を出してはいけない。笑ってはいけない。この施設では当たり前の空気ですが、見学に来ているのは多くの子供達。彼らの心に戦争下での犯罪はどう響くのでしょうか。
日本も今、東アジアの国々とトラブルを抱えています。戦後の混乱期に復興を急ぐ中で「いいよ」としてきたものが、70年以上たち、それでは済まなくなってきています。アウシュビッツの運営費の一部は今ドイツも出しているそうです。日本政府も自らお金を出し、自分たちが行ったことを、悪いことも良いことも、どう補償したかも含め全部展示して、相手国や世界中の人々、そして歴史に判断してもらうことが必要だと強く感じました。
戦後教育は大戦中の行為を「無かったことにしてしまおう」とまでは言いませんが「謝って早く過去のことにしてもらおう」と目を背けてきたように思います。反省とは謝る事だけではなく、その事実と向き合う事。事実を伝え、何ができるかを考える。それが戦後のあるべき姿ではないでしょうか。