大河ドラマ「光る君へ」最終回(第48回)「物語の先に」では、藤原道長(演・柄本佑さん)が最期の時を迎えました。その同日に藤原行成(演・渡辺大知さん)も亡くなります。二人の死を悼む藤原公任(演・町田啓介さん)、藤原斉信(演・金田哲さん)が和歌を詠む場面ありました。公任と斉信の歌は、『栄花物語』にあります。
見し人の なくなりゆくを 聞くままに いとゞみ山ぞ 寂しかりける (公任)
消え残る かしらの雪を 拂ひつゝ 寂しき山を 思ひやる哉 (斉信)
公任、斉信、行成は若いころから道長の友として行動を共にしてきました。なかでも、道長の六歳年下の行成は政の中枢を担う道長にとって欠かせない存在でした。長きにわたり、道長の信頼のもとそばに仕え、人々の間を取り持つ立場を長く務めてきました。
印象的だったのは、長保二年(1000)に彰子を中宮としようとする道長と中宮定子への思いが忘れられない一条天皇(演・塩野瑛久さん)の間に立って、中宮彰子の実現を一条天皇に進言するシーンでした。行成は、自らの日記『権記』長保二年(1000)正月28日条に記録しています。
当時、坐す所の藤氏の皇后、東三条院・皇后宮・中宮。皆、出家に依り、氏の祀を勤むること無し。職納の物、神事に充つべきは、已に其の数有り。然れども入道の後、其の事を勤めず。后位を帯ぶと雖も、納物有りと雖も、尸禄素飡の臣のごとし。徒らに私用に資し、空しく公物を費す。
(現在、いらっしゃる藤原氏の皇后は、東三条院(藤原詮子、演・吉田羊さん)・皇后宮(藤原遵子、演・中村静香さん)・中宮(藤原定子、演・高畑充希さん)である。皆、出家しているので、氏の祭祀を勤めることは無い。職納の物を神事に充るというのは、すでにその数が決まっている。ところが入道の後は、その事を認めない。后位を帯びているとはいっても、尸禄素飡〈責任ある地位にありながら、職務を果たさず、無駄に給料をとること〉の臣のようなものである。いたずらに私用に使って、空しく公物を費やしている。)
道長の意向を汲んで彰子を中宮とするにあたって、定子をはじめ、出家した后では氏の祭祀が務まらないこと、公費を費やす給料泥棒のようなものだと厳しく主張しています。
大原野祭、其の濫觴を尋ぬるに、「后宮の起請する所に在り」と云々。而るに当時の二后、共に勤むる所無く、左大臣、氏長者に依り、独り其の祀事を勤行す。欠怠を致さずと雖も、恐るらくは神明の本意に非ざるか。是れ亦、神事の違例と謂ふべし。
(大原野祭は、その由緒を尋ねると、「后宮が起請するものである」ということだ。ところが現在、二后は共に勤めることは無く、左大臣が氏長者であるというので、独りでその祭祀を勤行している。欠怠を犯すことはないといっても、恐らくは神明の本意ではないのではなかろうか。これまた、神事の違例と称すべきである。)
大原野神社(京都市西京区大原野)は、延暦三年(784)に桓武天皇の長岡京遷都の際、藤原氏の氏神である奈良春日大社の神々をこの地に勧請した神社で、ここの祭りが「大原野祭」です。后がいないことで、祭りは行われているものの「神事の違例」といわざるを得ないと主張しています。具体的な事例を一条天皇に突きつけ、彰子を中宮にするよう進言しているのです。そして、これらのことを次のように記しています。
神事を勤むること無きは、之を朝政に論ずるに、未だ何の益も有らず。度々怪に依り、所司、神事違例の由を卜申するも、疑慮の至る所にして、恐るらくは其の祟り、此くのごときに在るか。
(神事を勤めることが無いというのは、これを朝政に論じると、まったく何の益もない。度々「怪(異)」によって、所司が神事の違例を卜申するというのも、疑慮の至るところであって、恐らくはその「祟り」は、このようなことによるのであろう。)
ドラマでは、「このところ続く大水、地震の怪異は神の祟り」と行成のセリフにありました。「怪(異)」とは洪水や地震などの自然災害のことであり、幽霊やお化けが出てくるものではありません。そして、その現象が、神の「祟り」とされたのです。
「祟り」の語源は、タツとアリが複合したものだとされ、「立ち現れる」ことを示す語でした。それは、神々が人に祭祀を要求するために出現することであり、本来の言葉の意味です。現代のように、人が願い事のある時に祭祀を行うのではなく、神々から要求されるものでした。そして、説明できないある現象(災害等)が生じたとき、神祇官の卜部が、どの神のどのような要求をしているのか等を亀卜(ウミガメの甲羅による占い)で占います。「神々の出現」が「祟り」の本義であり、現代社会で私たちが使用している「祟り」とは異なるものでした。つまり、神以外のものが「祟る」ことはなかったということになります。
行成は祭祀の不履行により、神々が祭祀要求を行うために起こした自然災害を「怪(異)」と言っています。「怪異」も現代の通俗的な使われ方とは異なっています。このように古代と現代で「怪異」「祟り」などの意味する内容が異なるように、言葉は時代と共に変化しているのです。古記録を読み解く時には、注意して読まなければなりません。丁寧に史料と向き合うことから、平安時代の人々の心を知ることができるのではないでしょうか。