「店をビルに」「2階を宴会場に」…バブル期の甘言に耳を貸さず、堅実経営を続けた老舗そば店の矜持 「コツコツやってきたから残れた」

渡辺 陽 渡辺 陽

コロナ禍で経営が苦しくなった企業もありますが、1990年代初頭のバブル崩壊、次いで1995年1月の阪神・淡路大震災、2008年のリーマンショック、2011年3月の東日本大震災と、景気が大打撃を受けることはこれまでに何度もありました。

東京のそば店「神田錦町更科」(@kandasarashina)は、江戸三大老舗蕎麦屋の麻布永坂総本家更科堀井の唯一の分店。明治の初めに神田に店を開いてから136年間、幾度も荒波を乗り越えてきました。その秘訣とは…。

「バブルの頃に店をビルにしたら儲かる、店を広げたら、二階を宴会場にしたら儲かるとさんざん言われましたが、借金をせず細々と家族で自分の目の届く範囲の商売をコツコツやっていたら何とか残れました。今では儲からないけど店のフォロワーさんが4600人もいるのが自慢です」

こちらは、神田錦町更科のある日のツイート。景気がいい時に「もっと儲けたい、店を大きくしたい」という欲望に駆られなかったのでしょうか。4代目店主の堀井市朗さんに詳しいお話を聞きました。

—バブルの頃、かなり調子の良いことを言われましたか。

「銀行、建設会社、様々な正体不明の輩が、甘言を携えて近寄ってきました」

—事業を拡大したいという思いはなかったのですか。

「ありませんでした。失敗をしていなくなった人が周りに沢山いましたから」

—無借金経営は、商売をする上で大事なことでしょうか。

「大事です。『企業として考えるなら事業を拡大するのに借金をして』とありますが、私は家業ですから、『続けて守る』という観点から借金は負の遺産です」

—投稿にあった「ご家族やご自身の目の届く範囲の商売」とは?

「味が変わったり、他人に任せて金を持ち逃げされたり、サービスが違っていたりして潰れた店をいくつも見て来ました。自分が働いて自分の目で確認するのが老舗の矜持です」

愛される理由、そしてコロナ禍を越えて

—お客様に愛される理由は何ですか。

「マニュアルのある味やサービスで店が成り立つなら、日本中チェーン店で事足ります。個人店でしかできないこと、例えば『常連さんの顔を覚える』『好みを覚える』など、お客様と対等な立場で商売をしたいと思っています。お客様は大切です」

—コツコツ経営されなければ、今頃どうなっていたでしょう。

「店を売るか貸すかしていたでしょう。私達は、後世の未来の跡継ぎに先祖が遺してくれた暖簾を渡すのが今生の仕事だと思っています。ゆえにコツコツとしかできないのです」

—コロナ禍はどう乗り切られましたか。

「コロナ禍にTwitterを始めたのですが、新しいお客様に来店して頂けるようになりました。また、借金がなかったのも乗り切れた要因です」

—お店の周りの解体工事とビル建設が始まるのですか。

「2月に始まります。等価交換の話はありましたが、関東大震災や戦争の空爆で消失しても先祖が命がけで守った店なので、守り抜きたいと思います。店を守るのが仕事なんです」

—私たちフォロワーも力になれるのでしょうか。

「ツイートを見た人が、『神田の錦町に更科っていう蕎麦屋があるんだよ』と、口コミで伝え残してくれればそれだけで十分です。細々と、しかし知る人ぞ知る店が理想です」

4代目からは、先祖代々受け継いできた暖簾を後世に伝えたいという老舗の心意気が伝わってきました。この先、何十年、何百年と「神田錦町 更科」が続くことを願ってやみません。

◇ ◇

店名:神田錦町 更科

TEL 03-3294-3669

住所 東京都千代田区神田錦町3-14

https://twitter.com/Kandasarashina

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