3年で3人の家族を見送った「おひとりさま」の境地 わたしが「仏道の学習」を始めた理由 

北御門 孝 北御門 孝

令和元年5月、母が他界した。それから9カ月後の令和2年2月、父が他界した。そしてその一年後、令和3年2月には妻が逝ってしまった。私たちには子が無く、また私は一人っ子だったため、正真正銘「おひとりさま」になってしまった。法律上も、法定相続人は誰もいない状態であり、いつなにが起こるかわからないので、あわてて「公正証書遺言」を作成しておいた。

西洋医学において出来る限りのことはしたと思う。それが「後悔」ではなく「懺悔」の想いにしてくれる。まさに「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という心境だ。その他には「感謝」の想いしかない。

結局、三年立て続けに三人の家族を見送った。三者とも本願寺神戸別院(地元ではモダン寺として親しまれている)で葬儀を行った。浄土真宗本願寺派(お西さん)のお寺だ。実は宗派にこだわって選んだわけではなく、近隣のお寺であり、以前から気に入っていただけだった。また私の祖父母が眠るお墓は、佐賀県神埼市にある光藏寺というお寺にあるが、そちらもやはり浄土真宗本願寺派のお寺だった。このことも昨年お墓参りに伺うまでは知らなかったことだ。

妻が亡くなり悲嘆にくれた。「グリーフケア」という喪失からくる悲嘆に対するケアがあるという。グリーフには「喪失」「混乱」「否認」「怒り・罪悪感」「抑うつ」「あきらめ」「転換」といったフェーズがあって、それらは順不同でやって来るし、逆戻りしたりもする。書籍などで色々調べたが私には西田幾多郎が実子を亡くした頃に書かれた「歎異抄」についての文章が刺さった。「歎異抄」はご案内の通り親鸞聖人の弟子の唯円という方が書かれたとされる書物だ。そのことは「葬儀やお墓は必要なのか? グリーフケアの観点から考えてみた」(まいどなニュース、2021年5月21日配信)にも書いた。

浄土真宗本願寺派とのご縁を勝手に感じとり、またグリーフケアの効果を期待し、仏教の学習を始めた。ここでは教学の詳述は控えさせていただくが、グリーフケアあるいはビハーラ(緩和ケアにおける寄り添い)には浄土真宗の教えが合致していると思う。これからも徐々に学習を重ねて、そもそも僧籍が目的ではなかったが、もし将来僧籍を得ることができればそれはそれでいいと今は考えている。

私は医学や脳科学の世界とは無縁のところで生きてきたが、あえて感覚的に言わせてもらうと人には生きてきた時間の分だけ記憶の海が存在していて、なにかのきっかけでその記憶の海のなかから、ふと浮かび上がってくるように思い起こすことがある。それが「思い出」ということではないだろうか。だとすれば意識して故意に忘れることはできないだろうし、忘れようとも思わない。自分が生きている限りは忘れないほうがよい。

後に「そうか、もう君はいないのか」(新潮文庫)で夫人とのことを書き著した城山三郎の比較的初期の作品に「小説 日本銀行」(角川文庫)がある。そのなかで占い師は言った「仕事と伴侶、二つとも気に入っていれば人生の宝は全部手にしたのも同じだ。その人生は至上幸福…」。その後も「仕事と伴侶」という文言が何度か登場する。私は、平成10年に独立して以来、営み続けてきた事業を令和3年の秋に譲渡し、セミリタイヤした。一年のうちに伴侶と仕事をいっぺんに失い、手放したことになる。

これからあと何年生き永らえるのかわからないが、残された時間はオマケの人生だと思っている。しかしながらオマケにはオマケの楽しみや幸福な時間もあるだろう。「時間切れ」までの時間を無駄にするのではなく、「仏道の学習」を続けながら長く住んだ地域への報恩のつもりで微力ながらも「奉仕活動」ができればよいと考えている。

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