「京都。借景。11月22日44歳」。何かと話題を振りまくZOZO前社長の前澤友作氏が、あの女優との破局報道が出た直後の誕生日に、ツイッターでこんな風につぶやいた。写真には、邸宅の縁側のような場所から遠くに望む美しい紅葉の山。この場所、明治期に政財界の実力者たちが別荘を構えた南禅寺界隈の「別荘群」の一つとみられている。国内外から狭い路地にまで観光客が押し寄せる京都で「最後の秘境」と呼ばれる一帯。そこには、どんな魅力が隠されているのか。
晩秋の京都。「無鄰菴[むりんあん]」(京都市左京区)には朝から多くの観光客が訪れていた。小川が静寂の中で心地よい水音を立てる庭園では、外国人の男女が奥に見える紅葉の東山にうっとりと見とれていた。
無鄰菴は現在、市が所有しており、界隈の「別荘群」で唯一通年で公開されている。入場料600円で誰でも見ることができる。
しかし、元々はごく限られた「セレブ」しか立ち入ることはできない超プライベート空間だった。
1896(明治29)年に政治家山県有朋が造営したのが無鄰菴だ。
庭園は山県の指示のもと、近代日本庭園造りの先駆者で「植治」の名で知られる七代目小川治兵衞が手掛けた。治兵衛は南禅寺周辺の別荘群の多くの作庭をしたことで知られている。
東山の美しい景観を庭に取り入れた「借景」は、京都ならではだろう。敷地内にある洋館の2階は、山県が伊藤博文と日露開戦に向けて協議した「無鄰菴会議」の場として知られ、こちらも公開されており、歴史の舞台に触れられる。
南禅寺一帯の「別荘」は60に上るとされる。野村証券設立者による「碧雲荘」や、住友家が所有する「有芳園」が代表的だ。
これらはどのようにして誕生したのだろうか。
「京都の近代化と密接に関係している」。南禅寺界隈の別荘群を調査した京都工芸繊維大の矢ケ崎善太郎准教授は言う。
広大だった南禅寺の寺領は、明治初期の社寺上知令で大半が没収され、民間に払い下げられた。琵琶湖の水を京都に引っ張ってくる琵琶湖疏水の整備に伴い、一帯の土地を大規模な工業地として利用する計画が持ち上がったが、実現には至らず。そこで、東山の美しい眺めを生かした別荘地として開発された。
多くは当時の政財界の実力者が建てたが、時代とともに所有者は変遷を経てきた。中でも数奇な運命をたどったのが「何有荘[かいうそう]」。元々は実業家稲畑勝太郎の別邸だったが、戦後、酒造会社社長の手に。2005年には占有者による売却話を装った詐欺事件の舞台にもなった。今は米大手ソフトウエア会社の創業者が所有しているという。その人物は親日家で知られ、治兵衞が手掛けた広大な庭を大切にしているそうだ。
所有者の顔ぶれは時代を映す。
「對龍山荘[たいりゅうさんそう]庭園」は薩摩藩出身の実業家が建て、呉服商が100年にわたって所有したが、5年前に家具量販大手ニトリの保養所になった。同社によると、以前の所有者に管理の余裕がなく庭園が荒れたため、山荘買い取りの話が持ちかけられたという。
購入後、庭園を手入れして一般に公開されたが、今は得意客や研究者らに限っている。不特定多数を受け入れると、どうしても内部の傷みが進むからという。
前澤氏が購入したのは「智水庵」とされる。庭は治兵衛が無鄰庵に続いて手掛けたと、市の報告書「岡崎・南禅寺界隈の庭の調査」に書かれている。この調査によれば「智水庵の庭は、岡崎・南禅寺界隈の『庭の集まり』のなかでも、小規模で落ち着きのある技巧が施された」という。大正期以降に所有者が転々とし、2018年に前澤氏が購入したとされている。
戦後、京都に居を構えた小説家の谷崎潤一郎は月見を兼ねた狂言と小舞の会に招かれ、南禅寺近くの邸宅を訪れた。「中天にある月も、水面にある影も、此の騒ぎとは無関係にいよいよ冴え渡り、睡蓮の葉は前にもましてつややかにきらめいている」。随筆「月と狂言師」(中公文庫)でその時の情景をこうつづった。
東山の空にぽっかりと浮かぶ月は、京都人がめでてきた風景でもある。
月への旅を目指す「セレブ」は、東山に上る秋の名月を見上げたのだろうか。
贅を尽くして生まれた粋人の空間が、時代を超えて受け継がれる南禅寺界隈の別荘群。秘密のベールに包まれながらも、一帯を歩くだけで、こちらをぜいたくな気分にさせてくれる。