千本日活は、作家水上勉の小説「五番町夕霧楼」のモデルとなった「五番町遊郭」の面影を今に伝える数少ない存在だ。1961年7月15日、五番町遊郭の組合事務所跡地に映画館「五番街東宝」として建てられた。2年後に千本日活に改称し、70年代からポルノ映画を上映している。
京都市出身のみうらじゅんさん(61)は、以前インタビューした際、思い出の場所として千本日活を挙げた。高校2年の時、初めて足を踏み入れ、「大人の世界を垣間見た気がした」と懐かしそうに語っていた。
西陣で唯一の映画館に
一帯の西陣地域は京都では新京極と並ぶ映画の興行街として知られ、最盛期の昭和30年代には8館の映画館が立ち並んでいた。しかし、今や西陣では千本日活が唯一の映画館となり、ポルノ映画館としては市内で「本町館」(東山区)と2館のみになった。
「なんといっても安さがここの魅力よ」。女装した長身の男性が笑いながら教えてくれた。常連の間では「奥の院」と呼ばれる2階席は100円追加だが、それでも関西では随一の低価格なのだという。大阪から来たという50代のその「女装家」は、パーマがかかった長い髪に指を通しながら、「ここはパラダイス。出会いの場ってあるようでないのよ。女装仲間ともおしゃべりできるし」
たばこが吸える場外廊下のベンチで、こちらが記者であることを告げ、詳しく話を聞こうとすると「ええー、やめてよ。変なこと書かないでね」と笑いながらも、いろいろ教えてくれた。「廊下で目が合ったり、上映している中でもうろうろしながら、タイプだったりしたら声を掛けたりするのよ」。どうりで、暗い上映場で座席の周囲を歩く人影が見える訳だ。
「マドンナ」がいるカオス
そこに、館内を掃除している女性が通りがかり、「女装家」に声を掛けた。「今日は胸元がざっくり開いて、きれいね」。褒められて「ここのマドンナやから。ありがと」と手をひらひらとさせた。かなりの常連ぶりがうかがえる。
話を終えて、再びベンチで見かけた時には別の女装家とおしゃべりに熱中していた。近くに座ると会話の断片が耳に届いてくる。
「あの人、胃カメラで異常見つかったらしいわよ」「最近見いひんと思ったのよ」「堀ちえみのがんが見つかった頃やから、余計心配になっちゃって」「あんたも気いつけや」
まるで近所の井戸端会議のようなやりとりがポルノ映画館の廊下で繰り広げられていた。「いつか京都でお店持ちたいと思って。そのための人脈作りも兼ねてるのよ」。女装家はそんな夢も明かしてくれた。
「カオス(混沌)でしょ」。社長のおいに当たる支配人(38)が笑って言った。社長と2人で千本日活を運営している。「僕も最初来た時はびっくりしたわ」。日も暮れて、客足も落ち着いてきた。時折、スーツ姿の会社員らしき男性も交じるが、やはり高齢者が目立つ。
リニューアルで座席こそ新しくなったが、廊下もトイレも約60年前に建てられたままの古びた映画館。そこは、どんどん「清潔」になっていく現代の街にあって、不器用にも思えるほど頑固に昭和のままであり続けている空間だった。そこに男たちは自身を重ね、心安らぐのかもしれない。