今や150カ国以上で利用「点字ブロック」…実は日本で生まれた「世界標準」 すべては“町の発明家”のアイデアから始まった 

平藤 清刀 平藤 清刀

岡山市の交差点に世界で初めて点字ブロックを敷設

それまで世界のどこにもなかった点字ブロックが初めて敷設されたのは、岡山県立岡山盲学校近くにある原尾島交差点(岡山市中区)である。

三宅氏は旧建設省岡山国道工事事務所ほか関係する各機関に交渉し、点字ブロック230枚を寄贈。1967年3月18日に敷設された。今、その場所には「点字ブロック発祥の地」の記念碑が設置されている。

実際に敷設され、点字ブロックの有用性が証明されたはずだったが、現実は厳しかったようだ。なかなか普及しなかった。

三宅兄弟は、全国の福祉事務所や関係省庁等に点字ブロックのPR資料を送付したり、ときには点字ブロックの現物を携えて役所の土木担当部署を訪問したりして、ひたすら点字ブロックの意義と有用性を説いてまわった。しかし、注文はおろか、問い合わせすらなかったそうだ。

このときの三郎氏の心境が、同センターのWEBサイトに記されている。それによると「深い谷底をのぞく思いであった。もうやめようか、そろそろ資金も底を尽いたで」と弱音が出たという。

点字ブロックの考案から6年が過ぎ、小さな望みが見え始めた。1970年、大阪府立盲学校の教職員が国鉄(現JR)に対して、阪和線「我孫子町」駅に点字ブロックの設置を要望。国鉄がそれに応えて、駅に点字ブロックを敷設したのである。これが駅のプラットホームに敷設された点字ブロック第1号となった。

さらに同じ年、東京都道路局安全施設課が点字ブロックの採用を決めた。これをきっかけに地方都市へも広がっていった。また、7個×7列=49個の突起は6個×6列=36個となり、黄色に着色された。

岡山市の交差点に日本初の点字ブロックが敷設されてから34年後の2001年9月20日、日本工業規格(JIS)として経済産業大臣により制定された。

その頃、点字ブロックが普及したことで、巷には模倣品が溢れていたという。三宅氏が苦労して開発した点字ブロックを簡単に真似するという道義的な問題もさることながら、様々にパターンが異なる模倣品が出回ったことで、利用者が混乱することによる危険も懸念されていたのだ。

JIS化が実現したことで、全国どこでも同じデザインの点字ブロックが敷設されるため、安全性が増す。三郎氏は「手塩にかけたわが子がようやく一人前になって世に認められ、30年余にして成人式を迎えるような思いである」と、その感動を語っている。

点字ブロックは今、世界150カ国以上に普及しているという。国外に初めて設置されたのはどこの国で、どのようなきっかけがあったのだろうか。

「当センターが編纂した『点字ブロック50年の記録』によると、国外で初めて敷設されたのは1986年4月。その経緯は不明ながら、香港盲人輔導会において海外向け第1号として点字タイルが敷設されました」とされている。

また2012年には、点字ブロックの国際規格が、日本のJISをもとに定められた。岡山で生まれた点字ブロックはまさに世界標準となったのである。

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