視覚障がい者を安全に誘導するため、歩道や公共施設の通路に敷設されている点字ブロック。今では世界150カ国以上に普及しているというが、実は日本が発祥の地であることをご存知だろうか。1965年に考案され、1967年に岡山県岡山市にある交差点周辺に敷設されたのが初とされる。「点字ブロック」を世界にさきがけて考案・開発し、その普及に尽力した一般財団法人安全交通試験研究センターに聞いた。
交通問題に関心をもっていた町の発明家が発想
点字ブロックとは、公共の施設や歩道などで視覚障がい者を安全に誘導するために設置された、点字状の凹凸がつけられた正方形のプレートのこと。今や設置されていない場所を探すほうが難しいくらい、広く普及している。
この点字ブロックを考案したのは日本人で、初めて設置されたのが岡山県岡山市にある交差点であることは、あまり知られていないようだ。
1961年頃、岡山市で自営業を営む三宅精一氏は、ある日、こんな光景を目撃する。交差点で白い杖をもった人が道路を横断しようとしている横を、車が勢いよく走り去った。
日ごろから交通問題に関心をもち、町の発明家としていくつかの特許も取得していた三宅氏は、このときから「目の不自由な人が安全に歩けるようにしたい」と、常に意識するようになった。具体的に「点字ブロック」という発想に至ったのは、1963~1964年頃だったといわれる。
三宅氏の発想を形にしたのは三宅氏の弟で、現在一般財団法人安全交通試験研究センター理事長の三宅三郎氏である。コンクリートブロックの表面に突起物を配列するにあたり、形状、サイズ、いくつ配列するかを連日議論し、試作を重ねたという。最終的にはドーム型の半球突起(点状突起)を7個×7列=49個並べ、色はコンクリート色のままで初期の点字ブロックが出来上がった。
その外見から点字をイメージすることと、世間にアピールしやすいだろうとの判断から「点字ブロック」と名付けられた。
また、三宅氏は当時、視覚障がい者が文化的な社会生活を送るための支援活動を行う「日本ライトハウス」理事長の岩橋英行と知り合って、視覚障がい者にとって生きづらい状況を聞いていた。岩橋氏の影響を強く受けた三宅氏は、視覚障がい者の自立と、そのための安全な単独歩行を助ける誘導システムを日本全国へ展開するという構想を掲げ、自宅に「安全交通試験研究センター」を設立。弟の三郎氏も、これに加わった。