ご近所旅行で沖縄満喫~鉄爺、旅の徒然#5

世界遺産からステーキ、国際通りから戦跡へ

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 近所の友人グループ5人で沖縄旅行をした。プロ野球キャンプがほとんど撤収した時期を狙い、1泊2日の慌ただしい日程で本島中南部を車で走り回り、夜は国際通り近辺のにぎわいを満喫した。メンバーは同い年の男性4人と、その内の1人の奥さん。神戸に空港ができ、バラエティに富む地方路線を利用することができるようになったため、行動範囲が飛躍的に広がったのを楽しみながら、年に一度を目標にあちこちに出掛けている。

 毎回実施する事前の希望旅行先アンケートでは一番人気は北海道だった。沖縄は2位。ただ雪のことや日程のタイトさを考え、幹事特権で今回は沖縄を選ばせてもらった。

 私が初めて沖縄を訪ねたのは1980年11月。もう40年以上も前のことかと思うと感慨深い。デイリースポーツのトラ番記者としての出張だった。その年の夏の甲子園でベスト8に進んだ沖縄・興南高校から、2人の大型スラッガーがプロ野球のドラフトでそろって2位指名を受け、大きな話題を呼んだ。

 阪神タイガースが指名したのは渡真利克則内野手。日本ハムが金城博和外野手を選んだ。出張は渡真利選手に指名のあいさつに向かうスカウトに同行し、渡真利選手の紹介も兼ねた記事を書くことが目的だった。スポーツ各紙が記者を送り込んだが、記者とカメラマンがセットでやって来たのは1紙だけ。私も含め後は記者がカメラマンを兼務した。

 学校での挨拶の後、渡真利選手を最寄りの砂浜に連れ出し、沖縄の青い海をバックにバットの素振りをしてもらってその写真をカメラに収めた。翌日のデイリースポーツ1面の記事だ。ただし当時はまだ紙面も写真もモノクロの時代。海の青さまでは写らない。

 2回目の沖縄訪問は1986年、広島カープの担当記者としての沖縄キャンプ同行。本拠地である沖縄市(旧コザ市)での長期滞在で夜の町に沈んだ。

 以来一体何度沖縄に足を運んだだろうか。仕事の持ち場が変わっても、プライベートでの旅行やキャンプの視察などを中心に2年に一度ほどのペースで訪れてきたはずだ。

 今回の旅行で沖縄行きが決まったとき、どういう旅程を組んだものか、参考に他の参加者の沖縄歴を確認した。すると初めてという人がひとり、何十年ぶりかという人がひとり…ということで、まずは名所、名物を外さないようにすることを第一目的にした。

 1日目は世界遺産の城(ぐすく)めぐり。修復中の首里城から中城城跡、勝連城跡をレンタカーで回った。首里城は別として、沖縄の古い城跡の石垣の上に立つと、太平洋と東シナ海を左右に見下ろすスポットもあり、天下を睥睨していた琉球の豪族の気分に浸れる。

 2日目は南部に回り、ひめゆりの塔、平和祈念公園などの戦跡、玉泉洞などを訪ねた。

 グルメでも定番中の定番がてんこ盛り。初日のランチは那覇の老舗ステーキハウス「ジャッキー」へ。夜は国際通りの島唄ライブが楽しめる沖縄料理の店から、若者がひしめく屋台村へと足を延ばした。締めくくりは宿に戻っての部屋飲み。2日目は空港に戻る前にさとうきび畑の真ん中に建つ有形文化財の沖縄様式の屋敷を使った沖縄そばの店「屋宜家」の行列に並び、予定していた行程を完全網羅することができた。

 沖縄そばをいただきながら「次はどうしますか?」という話になった。みなさんのテンションは年に1回どころの悠長さではない。「次こそ北海道?」、「沖縄も北半分は残っているし」、「神戸から信州(松本空港)への直行便もできてるよ」、「そういえば岩手(花巻空港)への直行便も」「1泊は慌ただしいから2泊したいね」等々、今から帰るところなのに…という盛り上がり。ちなみにメンバーの平均年齢は67歳になる。

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