38年ぶりの草魂節、鈴木啓示さんとの再会~その1~鉄爺、友と会う#10

スポーツ記者人生の恩人のひとこと

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 実に38年ぶり。近鉄バファローズのエースで通算317勝の大投手、鈴木啓示さんと飲んだ。

 「鈴木さんが久しぶりに沼田さんを入れて飲もうや、と言っておられます」と声を掛けてくれたのはデイリースポーツの後輩、岩本報道部長。私にとっては小中高を通しての後輩でもある。私が鈴木さんを取材したのは1984年からの2年間。300勝達成、現役引退の原稿を書いた。時代は下って岩本部長は監督時代の鈴木さんを取材している。退任後、年に一度は鈴木監督当時の担当記者が集まって懇親会を開いているという話は聞いていた。

 その岩本部長が間を取り持ってくれての三人飲みが実現したのは2月末のことだった。

 鈴木さんには今でも大きな恩義を感じていることがある。デイリースポーツに入社し、4年間の阪神担当記者を経て近鉄担当に異動した。数人でチームを組んで取材する阪神とは違って、近鉄の担当記者は各社1人。親会社の幹部から球団の社長、現場では監督、鈴木さんのような看板選手、入団したての新人選手までひとりで取材する。

 書く原稿の量は阪神時代に比べると激減したが、阪神時代では積めなかった経験を重ねた貴重な2年間でもあった。あれは開幕してから少し経った時期だったか。ふたりだけになったタイミングを狙って、鈴木さんにあらたまった話を申し込んだことがある。

 鈴木さんは8歳年上の大先輩。その年齢以上にプロ野球を代表する大投手と、駆け出しのスポーツ紙記者との距離は大きなものと考えていた。それにも関わらず、初対面の時から「沼田さん」と呼ばれることが気になって仕方なかった。

 そのときは思い切って「僕の方が随分年下なんですから、『沼田』と呼び捨てにしてもらえませんか」とお願いした。すると椅子に座り直して真顔になった鈴木さんは「沼田さん、それは違うで」と切り出したのだ。

 続いて懇々と説かれた話は、その後の自分の記者人生の柱にもなるような内容で、いまも一言一句覚えている。

 「年齢は関係ないんや。あんた、デイリースポーツの看板背負ってオレの取材に来てるんやろ。オレはオレで近鉄の看板背負って取材を受ける立場や。そこに年上やとか年下やとか差しはさむのはおかしいんと違うか。年の違いはたまたまのこと。時にはオレと喧嘩してでも原稿書かんとあかん時かてあるんやで。他の記者も同じ。さんづけで呼ぶのはあんたらの立場に対するオレの敬意や」

 つまらないことをお願いして申し訳ありませんでした、と頭を下げて詫びるしかなかった。

 そんなこともあってか、その後の2年間の担当時代、鈴木さんには特にプライベートで色々な経験を積ませてもらった。特に忘れられないのは当時、神戸三宮にあった名店「ふぐ政」で生まれて初めてフグ料理をごちそうになったこと。小さな店で、フグのシーズンのみ店を開ける。そんな店に連れていってもらい、「ここの店に来た日はカレンダーに印を入れることにしてある。去年のオフ(11月~1月)は60回になったわ」と笑いながら絶品のフグをごちそうになった。六本木のイタリアンの老舗「キャンティ」では鈴木さん夫妻と3人で。人後に落ちない食道楽の鈴木さんに「沼田さん、あんた食べっぷりええなあ」と言われてうれしくなったことを思い出す。

 岩本部長から伝えられた会場はJR西宮駅近くの中華料理店、鈴木さんが40年来なじみにしている店だという。38年ぶりの一席にうってつけだ。(この項つづく)

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