2月20日、サンテレビの仕事で東京に出張した。私にとって少し特別な意味合いの上京だった。会社生活において最後の東京出張になるからだ。
はるか遡れば、初めて出張で東京に行ったのは1980年(昭和55年)のことだったと思う。プロ野球、阪神タイガースの担当、いわゆるトラ番記者としてチームの遠征に同行したのが最初であることは間違いない。そのときの相手が巨人だったのか、ヤクルトだったのかまでは記憶にないが、この年に何度か東京への出張を経験した。
その担当チームが近鉄バファローズ、広島カープと移っても東京への遠征はある。世の中はバブルにさしかかろうかという時代だった。選手との付き合いの中で自分ではなかなか足を運べないような銀座や六本木の店を知り目を丸くしたこと、若さに任せ遊び回っての連日連夜の朝帰り、いまでも鮮明に覚えている。
東京でなければ、という人たちにも大勢お目にかかることができた。中でも思い出深いのは作詞家、作家の山口洋子さん、作家の安倍譲二さん。ふたりともデイリースポーツで執筆してもらっていた関係もあり、殊更お世話になった。山口さんはまだ銀座の有名クラブ「姫」を経営されていた時代だ。顔を見ると連れていってくれたお気に入りの六本木「香妃園」の鳥煮込みそばの味。安倍さんは飲み過ぎを目の前で厳しくチェックする奥さんに「かあちゃん、ゴメン」と頭をかいてみせるお茶目な姿がほほえましかった。ともに鬼籍に入って久しい。
そういえば業界の小さな会合で訪れた銀座の鮨屋で、たまたまカウンターに座っていた首相退任後の小泉純一郎さんが面白がって私たちの個室にやって来て、2時間も酒を飲みながら話し込んだというハプニングもあった。
本業の上で一番強烈なインパクトが残っているのは1991年1月18日、秩父宮ラグビー場での社会人ラグビー決勝、神戸製鋼対三洋電機の試合。後半40分を過ぎて三洋電機が16対12とリード、神戸製鋼の3連覇は風前の灯だった。ところがインジュアリータイムに入ってのラストプレーで神戸製鋼は平尾を軸とした奇跡的なパス回しから切り札のイアン・ウィリアムスにボールをつなぎ、ウィリアムスが50㍍を独走して同点のトライ。その後のゴールが決まって18対16と逆転勝ちした。
負けを覚悟して取材のため記者席からグラウンドレベルに降りて来ていた自分の視界を、風のように走り抜けていったウィリアムスの姿。最高のドラマに体が震えた。
それやこれや、東京での思い出は楽しく、そして華やかだ。初めての出張から43年。一体何百回この地に足を運んだことか。そのキャリアにも今回をもってどうやらピリオドを打つことになる。そう思うと、ひとしおの感慨が押し寄せてきた二泊三日になった。
最後の夜、在京勤務のデイリースポーツの後輩をふたり呼び出し、神田の路地裏にひっそり佇む小さな日本酒居酒屋「季っ酔」で盃を重ねた。定められた時間内で全国津々浦々から取り寄せた銘酒が飲み放題。店をひとりで切り盛りする若いマスターに任せておけば、料理に合わせた酒を次々に出してくれる。
結局、この日は3時間で16銘柄の酒を3人で飲み干した。自分なりの打ち上げの一席の思い出はアルコールの霧にかすんだが、それもまた東京。43年間、ありがとう。