23歳から23年間精神科に入院、履歴書に書く職歴なく「それでも、働きたい」53歳で叶えた「夢」

広畑 千春 広畑 千春

 社会的に関心が高まっている「8050問題」。暗い側面ばかりが指摘される一方で、地域の支えを受けて自立へ踏み出す人もいる。23歳から23年間、精神病院に入院し、現在は90歳の母親と二人暮らしをしている男性も、その一人だ。グループホームから地域の就労支援事業所を経て、53歳で初めて「就職」という夢を叶え、働き続けている。

阪神・淡路大震災「覚えていない」

 さっぱりと短く整えた髪に、ユニフォーム姿。男性は毎朝必ず、定時の1時間前には出勤し、埃取り用のワイパーとふきん、掃除機を手に、病院内の医師控室などを隅から隅まで丁寧に掃除していく。今、55歳。「やっぱり張り合いがあるね。(働くのは)楽しい」と、ゆっくりとした口調でほほ笑む。その表情はとても晴れやかだ。

 かつては音楽少年だった。中学校でフォークギターを始め、高校ではバンドを組んで国内外のアーティストの曲をカバーした。卒業後はピアノの調律師を目指し、専門学校に受かったが両親は反対。やむなく大学を受け直して合格し、大学ではエレキベースを弾いたりバドミントンをしたりしていた。だが、20歳ぐらいから体調を崩し、入退院を繰り返すようになったという。

 “最後”の入院は23歳のとき。「最初に点滴をして、部屋を変わった」後の記憶は、おぼろげだ。病院は阪神・淡路大震災の激震地にあったはずだが、震災のことは「覚えていないね…」と言う。ただ、同室の患者に腰を蹴られてケガをし、リハビリをしたことと、親戚がお見舞いに来てくれたことは、記憶に残っているという。

 これほど長期の入院が、症状のせいなのか、家族の事情のためだったのか、理由は分からない。ただ、「(医者に)何にも言われんかったから、(退院を)考えたこともなかった」と男性。ところが10年ほど前、先に退院した元同室の知人に外の世界のことを聞き、「自分も退院したい」と医師に申し出たところ、すんなり退院を許可されたという。折しも長期入院への批判が高まっていたころだった。

履歴書に書く職歴が無い それでも「働きたい」

 男性はグループホームを経て、地域の就労継続支援B型事業所に通うようになった。だが、23年の間に、街並みは大きく変わり、駅の改札口には見知らぬ券売機と改札機がずらりと並んでいた。最初のうちはスタッフが声をかけても、一言を返すのに時間がかかり、体力が続かず、午後になると誰とも話さず過ごすこともあった。

 それでも、同じ障害のある事業所のメンバーは、明るく積極的に話し掛けた。オシャレな服や帽子を着けた男性がアニメの主人公のようだとニックネームで呼ぶ人もいた。そんな和やかな環境で、男性は次第に笑顔を見せるようになり、会話の中心にいることも多くなっていった。

 誰にでも優しく接する穏やかな人柄で、ほぼ皆勤だった男性は仲間からの信頼も厚く、お菓子作りなどの作業ではリーダーを任された。そんなある日。男性は「いっぺん、働いてみたい」と、スタッフに本心を打ち明けた。

 男性は本格的な就労に向け、自らの障害の特性を理解しながら仕事を進める訓練をする「就労移行支援事業所」に移り、ハローワークに登録して就職活動を始めた。だが、すぐに「長期入院」という壁が立ちはだかった。履歴書に書く職歴はなく、「23年」という入院期間を目にすると、障害に理解のある事業所ですら難色を示した。

 それでも男性は「一度は働きたい」とあきらめなかった。不採用になっても、帰り道の喫茶店でコーヒーを飲みながら、「次はどこを受けようか」と、まるで何事もなかったかのようにスタッフに尋ねた。記者が男性に初めて会ったのもその頃。「お給料をもらったら何がしたいですか?」と聞くと、少し考えて「電子ピアノを買いたいね」とはにかむように答えてくれた。

 そんな男性の熱意にスタッフも勇気づけられ、活動を続けて2年目、実習を経て、神戸市長田区の「野瀬病院」に正式採用が決まった。

仕事を「見える化」で上司からも信頼、「帰る場所」も

 それから2年余り。男性は今も週4日、朝9時から12時までのパートタイムで働く。病院では男性らの仕事の「場所」と「作業内容」が一目で分かるよう、作業項目に番号をつけた一覧表を作成。そして、毎日の作業予定表にその番号を書く。例えば、「10~11時①東階段清掃(手すり・扉・防火扉・電気の枠・ほこり)②西階段清掃(同)」…というように。

 障害者採用のメンバーは男性を含めて複数いるが、「予定と自分がすべき作業を“見える化”すれば、きちんと仕上げてくれる。他の職員も誰が何をしているか、分かりやすいですしね」と上司。仕事が終われば、部屋で少し休憩し、雑談をして帰る。コロナ禍の間も遅刻や欠勤は一度もなく、「仕事はすごく丁寧で真面目。こちらが心配になるほど集中力も高く、隅々まで鏡もピカピカにしてくれる。むしろ私の方がもっと見習わないと…と思うぐらい。基本的には全てお任せしています」と信頼を寄せる。

 家では90歳の母親と二人で暮らし、食事など身の回りのことは男性がしている。休日は好きな音楽を聴いたり、電車で買い物に出かけたり。そして、週に1度はかつて通った就労支援の事業所に立ち寄り、仲間たちや事業所のスタッフらと話をし、夕食のテーブルを囲むことも。コロナ禍で難しくなっている部分もあるが、お互い特にあれこれと構い合うでもなく、かといって離れるわけでもなく、穏やかに時間が流れる。「ここは、やっぱり落ち着く。みんなおるしね」と男性。

 「そういえば、初任給でピアノ買ったんですか?」と尋ねてみた。男性は頭を振って「(就労支援の事業所を運営するNPO法人に)寄付した」と、少し照れくさそうに微笑んだ。

【追記】(2021/05/11 10:44)「男性が働いている病院を知りたい」という声を多く頂いたことを踏まえ、ご本人と関係者の了承の上、病院名を追記しました。

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