「保護犬」という言葉が広く知られるようになったのはここ数年のこと。行政機関だけでなく、民間の団体や個人もかなり前から保護・譲渡活動を行ってはいましたが、その数が飛躍的に増え、メディアで取り上げられることも多くなったのが一因でしょう。
そういった活動を続けて行く上で欠かせないのが、預かりボランティアさんの存在です。文字通り、保護犬を一時的に預かり、給餌、散歩、トイレのしつけ、人馴れトレーニングなどさまざまなお世話をするのですが、その方たちがいなければ命を救う活動は成り立たない、と言っても過言ではありません。
大阪・和泉市の溝渕さん一家は6年前から保護犬の預かりボランティアをしています。きっかけは自宅でエステサロンを経営する妻のみどりさんが、お客様からハムスターを譲り受けたこと。実はみどりさんは動物が大の苦手で、ご主人と2人の息子さんが犬を飼いたがるのをずっと阻止していました。ところが思いがけずハムスターを飼うことになり、「動物愛のフタが開いた」(溝渕さん)のだそうです。
「最初はタオルにくるんでやっと触れる程度だったのですが、1カ月くらいしたら守ってあげたいと思うようになって。あまり人に懐かないハムスターでさえこんなにかわいいんだから、犬ならどんなだろうと思いましたね」(溝渕さん)
そんな心境の変化を経て、預かりボランティアを始めた溝渕さん。これまでに約50頭の犬たちに愛情を注いできました。多くは怖がりだったり、咬み犬や吠え犬といった問題を抱えた犬たち。その代表格として挙げてくれたのがゴマ君です。
ゴマ君は16年4月に鹿児島・徳之島から大阪にやってきました。「ゴマ」と名付けられたのは、耳を倒した姿がゴマフアザラシに似ていたから。そのかわいらしい風貌ですぐに里親希望者が現れましたが、先住猫ちゃんが難病にかかり看護に手が取られるようになったため、長めのトライアルから戻ってくることに。そうして、怖がりな子のお世話に定評のある溝渕家に預けられたのです。
「怖がり遺伝子を持って生まれてきたような子でしたね。散歩のとき、車やバイク、自転車の音に怯えるのはもちろん、そばを通った人のくしゃみにさえビクッとする。家の中でも尻尾はお腹の下にしまいこんでいましたし、部屋の隅で固まったまま動くこともできずにいました」(溝渕さん)
それでも、愛情は必ず伝わります。ゴマ君が怖がっているとき、できればそうなることを事前に察知して、背中からそっと腕を回し、胸元をなでながら「大丈夫だよ。怖くないよ。大丈夫だからね」と毎日毎日、何度も何度も耳元でささやいたそうです。
「魔法の言葉(「大丈夫」)を理解してくれてから、急速にビビリレベルが低下したように思います。これは他の犬にも言えることですが、安心させてあげることが一番なんですよね」(溝渕さん)
溝渕家で暮らした約2カ月の間に少しずつビビリを克服したゴマ君。部屋の隅から動けなかった子が、尻尾を振りながらお父さん、お母さんの後追いをしたり、ひとりで3階へ上がったり。食事中のお父さんの横にちょこんと座って、「ボクにもください」アピールもするようになりました。そして、ついに“へそ天”まで! 散歩中にヒトが通り過ぎるのを見送れるようになったのも画期的だったと言います。すべては溝渕家の皆さんが根気よく、愛情を持って接したから。預かりボランティアの役目は、ごはんをあげて散歩に行くことだけではありません。ヒトと一緒に暮らせるように、それが楽しいことだと教えてあげるのが最も重要なことなのです。
その後、ゴマ君は譲渡会で新しい家族と出会い、巣立って行きました。トライアル期間中にどうしてもお父さんに懐かず、一度はキャンセルの連絡がありましたが、溝渕さんが発信したブログにあった、はちきれんばかりの笑顔でドッグランを疾走するゴマ君の写真を見て、「時間が掛かっても、うちでもこんな笑顔にさせてあげたい」と考え直してくれたそうです。預かった犬の魅力を発信することも、預かりボランティアさんの大切な役目なのです。
そういえば、何度も経験していることとはいえ、愛情を注いだ犬とのお別れはさみしくないのでしょうか。
「最初の子が巣立つときはさみしかったですよ。でも、そのとき自問自答したんです。私は犬を飼いたいのか、それとも犬が幸せになるお手伝いをしたいのか。答えは後者でした。預かった子はみんなかわいかったけど、途中で誰かをうちの子にしたら、最初の子を手放した意味がなくなりますから」(溝渕さん)
経験を積み、今では預かった子が家になじめるかどうか、早い段階で分かるようになったと言います。モットーは「しつけようとしない」こと。
「子供の教育と同じです。余計なことはしない。ただ、その子が幸せになることだけを願ってお世話しています」(溝渕さん)