こうした状況に対し、ある校長は「そもそも、学校にはお金がない」と嘆きます。公立学校の場合、クラス数や児童生徒数に応じて運営費が配られ、その中から設備修繕費や備品、各教科の授業に必要な設備、図書、紙などを購入しますが、「いつもカツカツ」だそうです。
「例えば熱中症予防に大型扇風機を買いたければ、何かを削るしかない。カーテンのクリーニング代は中規模校で軽く10万円以上する」といい、これを削るため、ある学校では120枚近いカーテンを教職員が手分けし2日間かけて洗っています。神戸市の公立小中学校は全国的にも珍しい上靴に履き替えることなく「土足OK」で有名ですが、そのメンテナンスのための床の「油引き」も教員の仕事。夏休みには「職員作業」として大工作業に従事することも。学校にはこうした「人目に触れないサービス業務」が膨大にあり、「それが教員の多忙化や超過勤務の原因の一つになっている」と指摘します。
「PTAに色んなことをお願いせざるを得ないのも、そもそも学校の予算も人手も乏しいから。子どもが学ぶ環境を整えるのは、保護者の善意や教員の無償ボランティアではなく、本来、行政や教育委員会の仕事では。『子どものため』という金科玉条で善意を搾取し、不満を抑え込むのは、今の時代もう無理」と訴えます。
教員志望者はどんどん減っています。一方で、共働き家庭も増え保護者もいっぱいいっぱい。先生にだって家庭があり、プライベートがあります。無意識に「学校」に任せ続けていた仕組みは、もう行き詰っているのかもしれません。