話せるまで待って…
「今現在、本当にコレがいちばんツライです。善意だと理解してるけど、そっとしておいてほしい。心の中で破裂しそうなほど戦ってる。話せるようになるまで待ってほしい」
「まさに今その状況です。今は『ウチだけ無事でごめんなさい』という気持ちでいっぱいなんです。友人、知人が、近隣の環境が…。そして現在進行中の地震と津波の心配。うしろ髪を引かれながら帰宅し勤務している自分。『大変だった』じゃない、今も大変なんです」
「今日職場で同じ様なことがありました。心が痛んでいることは明らかだし。聞かれて涙目になってたし。大変な時なのにいちばん元気そうに入浴介助してくれていて。頑張りすぎないでねって、のど飴渡した。こんなことくらいしか出来ないな」
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なぜみんな、家族や地元が大丈夫だったか聞くの?
寄せられた多くの反響に対して、「みんな悪気ないの知ってるから、こんなこと書いていいのか迷ったけど、書いて良かった!」と、投稿していたササミさん。東日本大震災発生時、大学2年生だったこともあり、「周りの友達から、大丈夫だった?と聞かれることが多かった」と、当時を振り返る。
「30名ほどの専攻で、福島県出身は私しかいなかったため『唯一の震災関連者』でした。その時は漠然とした辛さしか感じておらず、投稿のように気持ちを整理することはできていませんでした。当時は大学にカウンセリングルームがあったので、そこを利用していました。
自分の気持ちがはっきりわかるようになったのは社会人になってからです。初対面で自己紹介の回数が増えてくると、『出身は?』『福島です』『え、震災は大丈夫だったの?』と、みんな同じ流れの会話を繰り広げるのです。なんでみんな、家族や地元が大丈夫だったかを聞くのだろう?それを知って何になるのだろう?と疑問に思い始めました。今でも新しい出会いがある度、自己紹介の場面で出身地の話になると同じ会話が展開されます。今回の私の投稿に対して、『この会話が嫌だから出身地は隠してる/偽っている』という方が何人かいて、その手があったか!と思いましたね」(ササミさん)
「話題にしてほしくない」
受け流すこともできる「心配したよ、大変だったね」という声がけは楽だった、とXに投稿していたササミさん。しかし、辛いことを思い出すトリガーになったことには変わりなく、「やはり震災のことを考えていない方が楽だったので、話題に触れてほしくなかった、というのが正直な気持ちですね」と、ササミさん。大変な状況を経験した方に対する最善の接し方について聞いた。