ポケモンのあの「神曲」シンガーは京都出身の女性 4年前に原因不明の神経障害、どん底から見えた青空

国貞 仁志 国貞 仁志

 ところが4年前、異変が体を襲う。強烈な顔の痛みとしびれ。三叉(さんさ)神経障害だった。

 ちょうど、東京で長年一緒に暮らしたカナダ人の夫と結婚し、バンクーバーに移住したころ。音楽活動で日本とカナダを行ったり来たりし、慣れない環境にオーバーワークやストレスがたたっていた。

 原因ははっきりしなかった。あまりの痛み、感覚異常に気がおかしくなりそうだった。

 

 「食べるのも、しゃべるのも、歌うのも全部しんどい。歯医者さんで麻酔した時の感覚って分かりますよね。それがずっと続いていて、しかも痛みがある感じです」

 

 死にたい、とさえ思った。

 

 音楽活動を休止し、バンクーバーのゆったりとした時間や生き方に身をゆだねた。体と心を休め、自らを見つめ直した。しかし症状が収まることはなかった。

 「逃げられないし、苦しいし、これからどうなるのかという恐怖感。でもそう思っていても仕方ない。生きるしかない。これが今の私と受けいれて、いま1年ぐらいがたちました」

 途中、大好きなはずの音楽に戻ろうとした。でもそのたびに痛みがひどくなる。そのくり返し。

 半ば引退したような形になっていた自分の背中を押してくれたのは、30年前に京都でデビューのきっかけを作ってくれた「恩人」からの出演依頼だった。

 それは、去年の冬のこと。

 「さ~らりとした梅酒」など数多くのCM曲を手がけた杜若清司さん(55)=右京区=から、過去のCM作品を生演奏で再現するコンサートをするので出演してもらえないか、と打診があった。

 江崎さんが杜若さんと初めて会ったのは20代前半のころ。四条大宮に店を構え、ことし5月に惜しまれつつ閉店したジャズバー「ふら~っとホーム」(中京区)で顔を合わせた。

 ちょうど、もがいていた時期だった。

 山下達郎さんにあこがれていた少女は、京都市立西京商業高(現・西京高)に通いながら市内の音楽学校でレッスンを受けた。その後、京都を中心にライブ活動をしていたが、元々が引っ込み思案の性格。チャンスはなかなかめぐってこなかった。

 当時CM業界で頭角を現しつつあった杜若さんを通じて、初めてテレビに歌声が流れる仕事をもらえた。「チョーヤ」の梅酒のCM曲だった。

 杜若さんのプロデュースで3年かけて初のCDアルバムを作った。この作品を引っさげて28歳の時、思いきって東京へ。音楽事務所を回り、自ら営業した。

 「この音源があったから助けられた」と振り返るように、東京でも少しずつ存在が認められるようになった。

 飛躍のきっかけをつくってくれた恩人であり、自分の症状も知っている杜若さんからのオファー。半年ぐらい声が出せない時期もあったが、二つ返事で引き受けた。

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