地域の歴史を知るメタセコイア、無念の伐採 「申し訳ないではすまない…相談ほしかった」

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 明治神宮外苑(東京都)や明石公園(兵庫県明石市)など、各地で物議を醸している公共空間における樹木の伐採。そんな中、記者のもとにも「70年ほど前からあるメタセコイアの木が切られたんや」と、京都市北区の男性から電話がかかってきました。何が起きたのか取材しました。

 メタセコイアが伐採されたのは3月下旬。金閣寺の北西にある京都市北区原谷地区の原谷中央公園で大きく成長した木でした。原谷地区は戦後すぐ、国策による開拓が行われた場所です。地元在住で1948年に一家で入植した前原英彦さん(87)によると、メタセコイアは公園に3本あり、いずれも50年代前半に中国から贈られたといいます。旧満州(中国東北部)からの引き揚げ経験者が多い地区住民に愛されていたそうです。

 メタセコイアは当時、開拓者でつくる洛北開拓農業協同組合の事務所北西側に植えられました。しかし、宅地化に伴い農業に従事する人が減少し、2008年に組合は解散を決議。組合事務所のあった一帯は京都市に寄贈され、原谷中央公園として10年に開園しました。

 今年の3月下旬、3本のうち2本が京都市の請負業者によって切り倒されました。市北部みどり管理事務所によると、落ち葉が多く住民からの苦情が寄せられていたことや、メタセコイアが隣接して植えられている「区民の誇りの木」のソメイヨシノの成長に影響を及ぼしていることから伐採が決まったといいます。

 自身も旧満州からの引き揚げ者で、近隣住民による連絡で伐採を知った前原さんは「申し訳ないではすまされないが、今となっては切ってしまったものは仕方がない」と肩を落としています。

 残るメタセコイアの前方に、木の由来を記した案内板を立てることで市北部みどり事務所とは合意したといい、前原さんは「最後の1本が長く残るようにしてほしい」と話しています。

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