近代化で終焉を迎えた「逝きし世」 異国の人の目で発見される日本がある

北御門 孝 北御門 孝

歴史家・評論家の渡辺京二氏の著書「逝きし世の面影」(平凡社)をご存知だろうか。

徳川後期から明治にかけて日本を訪れた多くの異邦人が日本について書かれた膨大な記述をさまざまなカテゴリーにまとめ、当時の日本を知ろうとする。当の日本人には意識されにくく、異国の人の目で見たものによってこそ発見されることがある。

明治維新以降、近代化が進むことによって一つの文明が終焉を迎えたという。まさに「逝きし世」だ。今となってはそれ以前の文明はそういった異邦人の記述を通してしか窺い知ることはできないのかもしれない。580ページに渡る長編であって、一言で表すことは到底できないがあえて言えば、欧米人から見れば風習などが当然ながら余りにも違っており衝撃を受けたのだが、礼節をわきまえ質素で貧しいながらも清潔であり、幸福感がみち満足そうにみえたということだ。

そんななかで私が着目したのは最終章で「心の垣根」という章だ。心の垣根とは、己という存在に確かな個を感じることで高くなる。当時の日本人の心の垣根は低く、欧米人のそれは高い。そして現代の日本人の心の垣根はやはり高くなっている。その差は何かというと、「西欧近代のヒューマニズムの洗礼を受けたから」だとされている。

ここで渡辺氏は「武士の娘」著者:杉本鉞子(ちくま文庫)から杉本鉞子夫人の長女「花野」のエピソードを引用しておられる。杉本鉞子夫人は旧越後長岡藩(幕末の長岡藩といえば河井継之助が想起されるが、司馬遼太郎氏の「峠」は映画化され昨年公開予定だったが延期されている。公開が楽しみだ。

家老稲垣家に生まれるが結婚を機に渡米し、二女をもうけた後に帰国する。しかし幼少期を米国で過ごした長女のことを思い、数年後に再渡米することになる。その再渡米を決意した理由として長女「花野」の様子が描かれている。日本での暮らしの中で旧武家のしきたりに合わせて「日本娘」になっていったのだが、実はストレスを感じつつ耐えていたことに母として気づく。

ただ、このことと「心の垣根」とに関連があるのかどうか私には腑に落ちなかった。ここで「漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?」著者:加藤徹(光文社新書)から少し引用させていただきたい。「東アジアで、日本がいちばん早く近代化に成功した主因は、中産実務階級が、江戸時代に漢文の素養をみにつけたことにある」。ヒューマニズム教育は、古典や言語を拠り所とする。

旧長岡藩の家老の家系であり、明治維新後とはいえ回りの人たちは十分にヒューマニズム教育を受けておられたと考えられる。日本においても、己の存在に確かな個を感じることはできたのではないだろうか。僭越ながらそのように感じた。

ところで、「武家の娘」のなかに真宗大谷派東本願寺にある「毛綱」についての記述がある。京都の大火事で焼失し、再建される際に材木を運搬するための丈夫なロープとして用いられた「毛綱」だが、ご門徒の女性たちが寄進した髪を編んで作られている。長岡は浄土真宗への信仰が盛んなところでもあり、杉本鉞子夫人は長岡の城下町で髪の毛が奉納されるところに子どもの頃立ち会っておられるのだ。

信仰にあまりに熱心でかなり髪を切ってしまったために嫁入りを3年延期した女性もいたという。これはたいへん貴重な記述ではないだろうか。残念ながら私はまだ実物を拝見していないので、近々に京都を訪れ必ず参拝したい。

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