ある火災現場で、助けを求める命がありました。小さな身体を震わせていた黒い塊、後に「クウ」と名付けられる子猫です。燃えさかる建物に取り残され、絶体絶命の危機に瀕していた子猫と、救助活動にあたった元消防士のお話です。
消防士として見た神戸の惨状
一軒家が燃えているとの通報により出動要請が入ったのは、1998年某日の22時頃のこと。火元の屋内へ真っ先に入る「最先着隊」として現場に向かった隊員たちの中に、当時24歳だったレスキュー隊員の長嶋健太さんがいました。
子どもの頃から身体を動かすことに長けており、第2次ベビーブームの中にあって、高校時代の身体能力は全国でトップクラスだった長嶋さん。この身体能力を活かせる仕事に就きたいと考え、高校に1枠だけ来た消防士の求人へ推薦を受けたことがキャリアのスタートでした。
拝命から3年ほどが経ち、消防士というものの何たるかが分かりかけていた頃。未曾有の大災害となった阪神・淡路大震災が起きました。応援部隊として三宮へ向かう道中で見たものは、あちこちで潰れた建物と火の海、横倒しになった高速道路。ベテランの先輩たちですら「これ…どうするんだ…」と呆然となった惨状の中、必死で救助にあたり、ご遺体を収容したといいます。
神戸での経験から得たものは不撓不屈の精神とともに、煙の恐ろしさとその対処法でした。阪神・淡路大震災の現場での経験が自身の消防士としての在り方を決定づけたと長嶋さんは話します。
黒猫クウとの数奇な出会い
煙の恐ろしさを身をもって知った長嶋さんは、神戸から戻った後、消防士としての目線が変わります。いかにして煙から逃れるかを念頭に、救助の道筋を考えるようになりました。そして1998年、火災の通報があった一軒家に向かう消防車内で現場の状況と救助ルートに考えを巡らせます。
到着した火元の一軒家は2階建て。窓は開いておらず、密閉されているように見えました。このような状況では「中性帯」と呼ばれる比較的安全な層が床に近い、低いところに発生します。
中性帯は、炎の熱で上昇した煙と新鮮な空気の境目のことで、酸素と視界が確保できる部分。この日の現場も、中性帯が発生しているであろうと外から推測ができたといいます。
2階部分はすでに全焼の状態だったため、玄関の扉から進入。推測通り、中性帯が確認でき、そこから室内の様子を伺うと、ちゃぶ台の下でガタガタ震える小さな黒猫を発見しました。一見、火傷の形跡はなく、助けを待っているようだったと長嶋さんは当時を振り返ります。
「お前ここに入っとれ」
ひとまず子猫を防火服の懐に入れ、救助活動を続行。住人はすでに外へ避難していて、無事でした。ところが、屋内に要救助者はいないことを確認し、外にいる住人に子猫を返そうと長嶋さんが問いかけると、予想外の返答が。住人の全員が「うちの猫じゃない」と言うのです。そんなはずは…と思っても、首を横に振るばかり。埒が明かず、消防署で一晩だけ預かることになりました。
新たな家族とともに生きたクウ
翌朝の勤務明け、煙を吸っている可能性を心配した長嶋さんは、個人的に子猫を病院に連れていきます。幸い、異常はなく、生後4カ月ほどの雌猫であることが分かりました。それから約2カ月、非番の時間を使っては火元の住人たちを何度か訪ねたり、周辺地区にチラシを貼るなどしましたが、飼い主を名乗る人は結局、現れませんでした。
ご両親とも動物が好きで、生家には常に保護猫や保護犬がいたといいます。そんな家で育った長嶋さんにとって、引き取り手のないこの子猫を見過ごすことはできませんでした。関係者に許可を取り、正式に子猫を迎え入れることに。救出以来「チビ」とか「クロ」といった特徴で呼ばれていた子猫に、この日「クウ」という名前がつきました。
クウは新しい住まいでのトイレや爪とぎ場所をすぐに覚えた利口な猫だったといいます。猫のいる家なら避けられない、ソファや壁がボロボロになるということもなく、ともに暮らしていくうちに、クウと名前を呼べば「ニャー」と返事をするように。長嶋さんがジグゾーパズルに取り組んでいる時は、仕事に行っている間に破壊活動に勤しみ、修復の最中もピースでじゃれて、どこかにやってしまうなんていうヤンチャぶりを見せこともありました。
一方の長嶋さんは、クウを迎え入れてからも消防士としてのキャリアを重ね、やがて隊長に。東日本大震災や御嶽山噴火など過酷な災害現場へも、かつての自分のような若い隊員を率いて応援救助へ行きました。さらに結婚や子どもの誕生など、人生の節目にも、日々の傍らにはいつもクウがいたと長嶋さんは愛おしそうに話します。
縁が繋いだひとつの命。クウは生涯、病気や怪我をすることなく、最期は老衰で静かに息を引き取りました。長嶋家の一員になってから18年後のことでした。
最愛のクウとの別れを経て
クウのようなケースは、やや特殊だったのかもしれません。動物のレスキュー要請は多いものの、助けた動物の取り扱いについては自治体によって異なると長嶋さんはいいます。当時在籍した消防局では、救助後は通報者が責任を持って面倒を見ることを条件に出動していました。ただ、クウの場合は、動物レスキューとしての要請ではなく、火災の通報だったこと、動物との縁をことさら大切に思う長嶋さんが出動したことなどの偶然が重なった奇跡といえます。
「動物が、どんな人間のどんな愛を受けられるのかは、縁だと思っています。火災をきっかけに、何らかの理由で火元の住人と黒猫との縁が切れた代わりに、僕との新しい縁が生まれた」
そう話す長嶋さんは、2019年に消防士を退職。強靭な身体づくりのために取り組んだ数々のトレーニングノウハウを備えたパーソナルトレーナーとして、第2の人生を歩み始めています。
昨年には念願だったトレーニングジムをオープンし、忙しい日々を送りながらも「クウのことは忘れたことがない」と大切そうに写真を眺める横顔から、生き物への深い愛情が溢れていました。
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◆長嶋さん主宰のパーソナルトレーニングジム「ONEPULLUP」
https://onepullup.net/