かつては電車の地下化工事で中止も 京都祇園祭の山鉾巡行、知られざる延期と中止の歴史

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 

日本三大祭りの一つ、京都の祇園祭で最大の見どころは、7月17日と24日に行われる山鉾巡行です。豪華な懸装品(けそうひん)に彩られた山や鉾(ほこ)が都大路を進みます。しかし、昨年と今年は、新型コロナウイルスの感染拡大により、残念ながら中止となりました。実は過去にも、山鉾巡行が中止や延期になったことはありました。明治時代以降の山鉾巡行の歴史をひもとくと、意外な理由によるものもありました。

京都市文化財保護課が出版している「写真でたどる祇園祭山鉾行事の近代」という本に、明治以降の山鉾巡行に関する年表が記載されています。

山鉾巡行は7月に2度あり、現在では前祭(さきまつり)が7月17日に、後祭が24日に行われています。年表を見ると、かつては前祭が6月7日、後祭が14日に行われていたことや、明治初期には太陽暦採用に伴い7月7日と14日に変更されたことなどが書かれています。

明治時代に巡行のスケジュールが影響を受けた要因で多いのが、コレラの流行です。コレラ菌を含んだ水や食物を口にすることで感染する感染症です。明治12(1879)年、明治19(1886)、明治20(1887)年、明治28(1895)年はコレラを理由に5月に前倒ししたり、10月や11月といった秋に開催時期をずらしたりしています。

明治45(1912)年には、明治天皇の病気のため後祭が中止に。明治天皇が亡くなった後、大正2(1913)年には服喪期間を終えた8月に開催時期をずらしました。

さらに、大正3(1914)年には明治天皇の皇后だった昭憲皇太后が亡くなったため、前祭を7月27日、後祭を8月4日に延期しました。

やがて、戦争の影が忍び寄ります。昭和18(1943)年からは太平洋戦争激化のため巡行は中止に。山鉾が大通りを再び巡行したのは昭和22(1947)年のことでした。

戦後復興が進み高度成長のさなかの昭和37(1962)年、山鉾巡行が突如中止となります。原因は巡行路の四条通で行われていた阪急電鉄の地下工事でした。

当時の京都新聞で出来事を追っていきます。本来の巡行の約2カ月前に全山鉾で最も重い「月鉾」が組み立てられ、5月27日未明から早朝にかけて巡行の試験が行われました。しかし、道路に敷かれた鉄板を固定する「びょう」が鉾の木製の車輪をえぐることが判明。巡行は戦後直後以来の中止となりました。

本来の巡行当日、町内のみを巡行した鉾もあり、昭和37(1962)年7月17日付の京都新聞夕刊は「動かぬ祇園祭り」との見出しで異例の前祭の様子を伝えています。ちなみに、24日の後祭巡行も同様に中止となっています。

そして昨年、新型コロナウイルスの感染拡大で約60年ぶりの中止となり、今年も中止が決まりました。2年連続で巡行がないのは太平洋戦争期以来です。長い祇園祭の歴史に2年連続の中止は確実に刻まれそうです。

2022年こそは盛大な山鉾巡行を見られることを願うばかりです。

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