「息子を連れて逃げるしか、方法がなかった」夫のDVで苦しんだ女性、“偽”の被害届で保護命令も出ず

広畑 千春 広畑 千春

 夫婦の不仲に伴う子どもの一方的な「連れ去り」が問題になり、共同親権や面会交流義務化などの議論が活発化しています。一方で、心身に深い傷を負ったDV被害者やその支援者からは被害者の保護・支援態勢が不十分なままでの性急な導入に警鐘を鳴らす声が。関東地方で暮らす30代の女性もその一人。「あの時の私には、息子を連れて逃げるしか、方法がなかった」。そう振り返ります。

父の暴力に耐え続けた母 お金も頼る人もなく「私が我慢すれば」

 10歳近く年上の夫と結婚したのは20代半ばだった。女性の両親は父の暴力が原因で離婚。ひたすら暴力に耐え続けた母の元で育った女性にとって、治療院を経営していた夫は患者にもとても穏やかで、頼れる大人の男性に見えた。

 だが、結婚すると態度は一変した。毎日朝から夕方まで治療院の受付や事務の仕事をするよう言われたが、当然のように給料はなく、「経営が厳しいから」と生活費も満足に貰えなかった。家では家事と寝たきりの義父の介護。月末になると生活費が足りずに消費者金融で借金をしたことも。たまらずバイトをすると「浮気をしている」と激昂され、胸ぐらをつかまれたり、足蹴にされたりした。

 「子どもが生まれたら変わるかもしれない」と思ったが、生活は変わらなかった。元夫は家に帰って気が向いた時に子どもと遊んで寝るだけ。不満を口にすると「俺は家族のために働いている」「実は俺の子じゃないんだろう」と怒鳴った。自分や子どもが高熱を出しても放置され、肺炎を起こして入院したこともあった。

 息子は、元夫が帰ってくると急に態度を変えるようになった。言葉を覚え始めると、気に入らないことがあれば元夫と同じような口調で女性をののしり、叩いたり蹴ったりした。離婚も考えたが自由にできるお金はわずか。状況を打ち明けられる人もなく、実家も豊かではない。まだ幼い子どもや、いつ容態が急変するか分からない義父の事を思うと「私が我慢すればいい」と踏み出せないまま日が過ぎた。

 だが、その義父が亡くなり「胸のつかえが一つ取れた気がした」。離婚を切り出すと元夫は怒り狂った。説得と激昂を何度も繰り返したある夜、あまりの恐怖に女性は110番。被害届を出し、警察官に付き添われて息子を連れ、家を出た。「どれだけ話しても離婚には応じてくれない。今しかないと思った」。着の身着のままで、わずかな荷物。脚にはケガも追っていた。

元夫から「被害届」、ケガを負っていても保護命令は出ず

 「実家にいたらすぐに連れ戻される」と、離れた街のホテルに身を寄せた。お金は消費者金融で借りた。その後、警察での事情聴取で「元夫から被害届が出されている」と聞かされた。「心当たりはなく、むしろケガをしたのは私なのに」。理不尽さが募ったが、子どもを預けられる場所もなく、子どもを連れて警察署に何度も通うしかなかった。

 元夫からの被害届が出されているため、接近禁止などの保護命令を受けることはできないと言われた。実家には元夫から何度も居場所を尋ねる電話がかかっていると聞き、女性はさらに遠い街へ逃げた。役所の相談窓口では公的シェルターに入るよう勧められたが、シェルターでは携帯電話の使用や外出が厳しく制限される。持病のある家族がいたため入所をためらうと、職員は「じゃあ、ご自分で探してください」と冷たく言った。

「驚くほど落ち着いた」息子、ぬぐえぬ面会交流への不安

 幸い支援者と繋がれ、女性は自己破産をして生活保護を受給しつつ、パートタイムで働き始めた。家は狭くなったが、息子は「驚くほど落ち着いた」という。かつてのように、女性をののしったり、蹴ったり殴ったりすることはなくなった。友達とも穏やかに遊び、眉間に皺を寄せて険しい顔をすることもなくなった。

 女性は離婚調停を申し立てたが元夫は応じず、裁判になった。元夫はDVも「夫婦間の言い争いの延長」と認めず、経済的安定や親族の育児参加などを主張して息子の親権を求めた。「どんな理由でも面会交流を断ると裁判に不利になる」と弁護士にアドバイスされ、第三者を通じて面会交流も続けたが、約束の時間を大幅に超え、夜になることも多々あった。「このまま連れ去られるのかも」と不安にかられ、警察に相談しようと思ったこともあった。

 裁判の結果、離婚は認められ息子の親権は女性が得た。以降、元夫からは養育費の支払いは一度もなく、面会交流の話も出ていない。「本心から言えば、(面会交流を求められず)ホッとしている。息子はまだ小さいし、会えばまた昔のようにコントロールされてしまうかもしれない。いつ居場所を探しに来るか分からないし…」と女性。今でも、元夫に似た年齢、背格好の男性を見ると動悸がし、パニックになりかける。

 ただ、「息子の存在を否定したくはない」とDVの事は息子には一切話しておらず、かつて一緒に撮った家族写真も飾っている。「まだ理解するには幼すぎるし、ショックも大きいと思う。親は親だから。いつかは話そうと思いますが、今は『お父さんは立派な人だ』と思ってます。だから、話題になっている共同親権や連れ去り禁止の話も、全て否定するつもりはありません」と女性。

 一方で、内閣府調査では女性の3人に1人が「配偶者から暴力(身体的暴力、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要のいずれか)を受けた経験がある」と回答し、コロナ禍で相談件数は急増。被害者を一時保護するシェルターの利用も民間7に対し、公的は3。公的シェルターでは「保護」の名目で携帯電話の使用や外出、シェルター内での交流に厳しい制限がある場合が多く、運用面の課題も指摘されている。

 「当事者になって初めて知りましたが、行政ですらDV被害や支援への理解は乏しく、頼みの綱の保護命令も身体的暴力以外は認められない。心身両面で支配され続け、経済面でも大きな格差がある中、逃げる事まで禁止されたら…。まずは本当に苦しんでいる被害者と子どもが、安心して暮らせる体制を整えて欲しいんです」

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