お金もないし、交通費うかすために、めっちゃ歩かなだけど、仕方ない
子どもの為にも、せめて、できる所まででも、頑張らないと
最終死ぬ事になっても、やる所まで、できる所まで頑張ったからって言いたい
(ゆかさんの当時の日記より)
「何も頼れず、誰も助けてくれなかった」。関西地方の母子寮で2歳の息子と暮らすゆかさん(仮名、20歳)は、そう言って、2年前の経験を話し始めた。
妊娠が分かったのは18歳の春だった。相手はバイト先のキャバクラで出会った20歳年上の男性。家には居場所がないと感じ、「家族にあこがれていた」というゆかさんは、「最初から絶対に産むと決めていた」ときっぱりと言う。
会社員の父は厳格で世間体を重んじた。ゆかさんは父の勧めで地方の中高一貫校に入り、寮で暮らしたが、関西出身は一人だけ。否応なく目立ち、陰湿ないじめが始まった。高校まで耐えたが、耐えきれず退学。地元に戻った。
私学からは公立高に転入できず、定時制高校へ。「父は『期待して金も出したのに』と、口もきいてくれなくなった。学校の友達はバイトをして、服や持ち物もおしゃれで…。自由がまぶしくて、何よりもう、人と違うのが怖かった」。家に帰れば無視と、両親の夫婦げんか。「お金があれば皆と同じで居られるし、とにかく早く家を出たい」と始めたのが、友達に紹介されたキャバクラのバイトだった。
安定期を待って妊娠と「産むつもり」だと家族に告げた。母は賛成してくれたが、父は無言だった。無視は激しくなり、つわりが酷く横になっていると「ダラけんなよ!」とリモコンを投げつけられ、風呂に入っている時に湯を止められたことも。「この家では産めない」と9月初め、家を出た。妊娠6カ月だった。