男性が自分のことを呼ぶときに、もっとも多く使われているのは「俺」ですが、「僕」という一人称を使う男性も一定数いますよね。みなさんは「僕」を使う人のことをどのように感じていますか? アンケートで調べてみると「甘えん坊」「気弱」「美意識が高い」といった印象を受ける人が多いという結果に。でも、かつては意識が高い「インテリ層」が使う一人称だったといわれています。時代によって変わっていく一人称のイメージ…その転換期はいつだったのでしょうか。アンケート結果を交えて、初代・天満天神繁昌亭支配人で、落語と文学のコラム『作家寄席あつめ』も好評な文学修士の恩田雅和さんにお話を伺いました。
そもそもの「僕」の意味は?
「僕」という言葉を国語辞典でひいてみると、最初に出てくるのは「男の召使」。これが一人称となり、へりくだった一人称として使用されるように。『古事記』でも、スサノオノミコトや因幡の白兎が「僕」と使用しています。
ただ、鎌倉期まで「あ」や「やつがれ」と読まれていたのだそう。鎌倉期では武家の間で漢字の音読みが流行しましたので、訓読みの「あ」や「やつがれ」でなく「ぼく」と読み始めたと推察されます。
これが江戸時代を経て、幕末に頻繁に使われ始めます。奇兵隊でも使用していたことが知られています。その後、明治期に書生や大学生が多く使う一人称として一般化しました。つまり、インテリの一人称です。
現代の「僕」のイメージは甘えん坊が多い
アンケート掲示板「anke」で、現代の「僕」という一人称に対するイメージを調査してみたところ、最も多い結果は、「甘えん坊」(28.0%)に。続いて「気弱」(26.2%)、「美意識が高い」(13.1%)となりました。
これは漫画やアニメに登場するキャラクターや芸能人のイメージが強いと推察できます。漫画やアニメで「僕」を使っているキャラクターは、男性ならもれなく「弟」ポジションの甘えん坊。女性なら、気は強いけれど弱い部分の多いキャラクターです。
芸能人や有名人でしたら、GACKTさんやホリエモンさんが使用していることでも知られています。
さて、インテリの一人称が甘えん坊になる転換期はあったのでしょうか?文学作品の観点から、恩田雅和さんにお話をうかがいました。
全共闘世代の大学生がよく使っていた「僕」
――現代では甘えん坊のイメージの強い「僕」ですが、文学の観点ではいつが転換期だったのでしょうか?
今回のテーマずばりのタイトルの本があります。それは、三田誠広の『僕って何?』です。1977年に出版されました。この作品は庄司薫の1969年出版の『赤頭巾ちゃん気をつけて』にインスパイアされた作品です。両作品とも芥川賞を受賞しています。
――どちらの作品も全共闘世代の大学生が主人公ですね。
昭和40年代では大学生の一般的な一人称が「僕」だったことが、作品からうかがえます。明治期からの書生が使用していた流れが、ここに現れていると見て良いでしょう。
一方で、この全共闘世代は、生き方に迷っている世代といえます。戦後に生まれた最初の世代で、生き方すら手探り。「私」なのか「僕」なのかも分からず、うろうろしている世代。とても女々しく軟弱と感じている人もいたでしょう。
僕と決別した文学作品が、「僕=軟弱」のイメージを強めることに
――その軟弱なイメージが定着して、現代の甘えん坊のイメージにつながったのでしょうか。
それに大きな影響を与えたと考えられる作品があります。それは、中上健次の『岬』です。1976年に出版されました。こちらも芥川賞を受賞しています。
実はこの作品に一人称は出てきません。主人公は自分を「竹原秋幸」と名前で称しているのです。路地の世界が舞台で、生き方の軟弱さを破壊する様子を描いています。この作品に「僕」はふさわしくありません。
――もしかして「僕」を使わないことで、僕を使っていた全共闘世代の軟弱さを批判しようとしたのでしょうか?
そうですね。少なくとも中上健次にとって「僕」は軟弱の象徴だったのでしょう。
実は中上は『岬』以前の作品では、頻繁に「僕」を使用していました。『岬』が転換となり、一人称が変化していきました。芥川賞は今以上に当時は影響の強い賞ですので、『岬』が今の甘えん坊のイメージ形成の一端を担った可能性は十分考えられます。
時代によってイメージが変化する「僕」
文学的な観点でみれば、男性の一人称「僕」のイメージを変えるきっかけが昭和50年代にあったのではないかと、恩田雅和さんにお話から分かりました。言葉は世相を反映させる鏡のようなものですから、今後も「僕」のイメージは変化する可能性を秘めています。あなたの身近にいる「僕」を使う人は、どのようなイメージですか?