大阪市内を東西に抜ける中央大通。大阪市中心部の一番広い部分では道幅80メートル、西行き東行きそれぞれ側道が4車線、高架部分が3車線で合計14車線、さらにその上を通る阪神高速東大阪線を加えると最大で20車線という、まさに大通中の大通、中央大通にも程があるというくらいの主要道路です。そしてこの道路の面白いところは「その高架部分の下に大規模なビルが建っている」というところでしょう。
1970年…大阪万博が開催された年にオープン
ビルの名前は船場センタービル。1970年、そう大阪万博が開催されたその年に、中央大通の完成と同時にオープンしました。
中央大通は、昭和20年代に国が立てた戦災復興都市計画に基づいて新設された都市計画道路です。正式な名前は築港枚岡線。東は東大阪市から西は大阪港までを繋いでいます。
市街地中心部の、特に道路幅が広くなる辺りはもともと民家や商家の密集したところで、この道路を通すに当たってはものすごく大規模な立ち退きが必要になりました。
都会の一等地です。この地で営々と商売をしている人々にとっては、なかなか良い立ち退き先も見つかりません。当然のように移転交渉は難航しました。そこで「立ち退き先として入居できるビルを建てて、その上に道路を通せばいい」という発想で問題を解決してしまったのですね。
大阪には阪神高速が突き抜けるビルも建てられていますが、こちらは平成になって新しい制度ができてあのような構造が認められたから、という経緯がありました。
船場センタービルが建設されたのはもちろんそれよりもずっと前です。なぜこんな建物が建てられたのでしょう。実はこの建物、区分所有権を設定した特別な「道路占用」という解釈で、当時の建設省から認められた特例なのだそうです。
東西に長さ1キロ近い巨大ビル
大阪の中心部はもともと碁盤の目のように、南北の「筋」と東西の「通」で成り立っています。船場センタービルは、その中の「唐物町通」と「北久太郎通」に挟まれて、東西に長く建っています。東側は箒屋町筋から、西側は渡辺筋に至る930メートル(グーグルマップで測りました)という長い長いビルです。ホームページには「1000mの散歩道・船場センタービル」というキャッチコピーがありますが、ほぼそれで間違いない長さですね。ただし地上の建物としては、途中で南北に延びる筋が交差するので、1号館から10号館に区切られています。また、道路の勾配の影響で各館の高さが制限され、両端の1号館と10号館は地上二階、3号館から9号館は地上四階、全体を通して地下は二階まで。延床面積は17万324.94 m²です。
これまでご紹介した立地だけでもなかなか過密な船場センタービルですが、さらに地上の道路だけでは無く、このビルの真下には大阪メトロの本町駅と堺筋本町駅があって、ビルに沿って地下鉄中央線が、そしてビルの下を横切って地下鉄御堂筋線と地下鉄堺筋線が走っています。
東京をはじめ他都市から大阪に来られた方がよく「梅田の巨大地下街はまるで迷宮のようだ」と言われますが、阪神地区在住でたまに大阪に出る筆者にとってはこの地下鉄本町駅の地下の方が遥かに厄介です。地上部分の多くが中央大通と船場センタービルに押さえられているので、なかなか駅から地上に上がれないのです。特に「御堂筋の西、中央大通の南側に出たい」とか考えると、たどり着けるルートがどれなのか、ほぼわからなくなってしまいます。
この先もしかしたら観られなくなる景観かも
船場センタービルと中央大通は、同じ時期に共に整備されました。本来、工事に関して道路などは「土木」、建物は「建築」という違った分野なのですが、どう見ても建物と道路は一体の建造物です。不可分な構造に見えます。
たとえばいま東京の首都高速道路では、コンクリートの老朽化対策や景観の改善なども含めて大規模な改修、地下化計画などが動き始めていると聞きます。首都高速は東京オリンピックに合わせて急いで作られたインフラですから、その六年後の万博に合わせて建設された中央大通と船場センタービルも、いずれ建て替えを含めた大規模な改修が必要になるかもしれません。その際にこの構造はいろいろと難しいことになる、という話を聞いたことがあります。
一方、この中央大通を地下化してしまうという計画もあるようです。その場合でも、地上の道路の撤去、建物を残した上での地下工事といった大工事になるかとは思います。
建物の屋上に合計12車線の道路が走る船場センタービル。この過密な大都市を象徴するような風景も、何十年か後にはもしかしたら見られなくなっているのかもしれませんね。