「公衆衛生学」から学ぶ、いじめ対策…解決するには「数の力」で勝負!圧倒的多数の傍観者を動かせ!

くま ゆうこ くま ゆうこ

「公衆衛生学」という学問をご存じですか?一見、公衆衛生学といじめの問題はなんの繋がりもないように思えるのですが、わたしとしては「そうか!」と思わずヒザをたたきたくなるような事がありました。青森県立保健大学の客員研究員として、行動経済の観点から、公衆衛生について研究している竹林正樹先生とお話をさせていただいたときに感じたことを皆さんにお伝えしたいと思っています。

「いじめは圧倒的多数の傍観者を集めて対処せよ」

私が竹林先生とお話をしていて、たどりついた結論です。…では、くわしくお話ししましょう。

公衆衛生学といじめに共通点がある!?

そもそも公衆衛生学とは、どんな学問なのでしょうか。

「公衆」と「衛生」のふたつにわけて考えると簡単です(実際にはもっと複雑で深い学問ですが)。公衆はいわゆる社会一般の人々、私達のことです。衛生は「命や生活をまもる」という意味です。つまり、私達の暮らしにおける健康を守り、命や生活をおびやかす病などを防ぐための知識についての学問が公衆衛生学です。

竹林先生とお話をするなかで、わたしは「いじめ」と公衆衛生に類似点があるなと感じました。

誰でも病気になりたいわけではありません。でもわかっていても風邪にかかったり、予防を万全にしていても新型コロナウイルスにかかってしまったりもします。あるいは、暴飲暴食が健康に悪いと知っているのに、ついつい飲み過ぎてしまった、調子にのって食べ過ぎてしまった、なんていうのもありがちです。

いじめはどうでしょうか。

いじめは悪いことだと誰もが知っているし、わかっているけれど、深く考えずについやってしまうこともあります。冗談のつもり、ちょっとふざけていただけのつもり、が、度を超していき、ブレーキがきかずに相手をひどく傷つけるいじめ行為につながることは珍しくありません。

「教育や知識で何とかしようと思っても、なかなかコントロールできないもの」セルフコントロールできないものが存在するということです。

いじめも、自分でいけないとわかっていてもコントロールがきかなくなったり、エスカレートしてしまいやすい面があります。

こうして見ると、公衆衛生学といじめの問題は多少なりとも共通点があると思えます。だとすれば、竹林先生のお話による、公衆衛生学の知識が、いじめ防止にも役立つのではないかと考えました。

ポピュレーションアプローチのすすめ

竹林先生のお話で興味深かったのが、ポピュレーションアプローチについてです。

ポピュレーションアプローチとは、一番母数が多い人たちを後押しすれば、全体を動かすことができるというアプローチ方法です。

大勢の人にたとえ少しであっても「正しいのはこっちの方向じゃないかな」という考えを浸透させていくと、やがて全体が「こっちの方向」へと流れるようになるイメージです。

これはいじめをなくすヒントになるのではないでしょうか。つまり、たとえばクラスで数人の子が誰かを標的にしていじめを行っていた場合を考えてみましょう。いじめをしているのは2~3人、いじめられている子は1人で、その他大勢の児童はいわゆる「傍観者」です。

見て見ぬふりをしている大勢の児童のひとりが「いじめはいけないことだ」と思ったとしても、なかなか言い出せないものです。言い出した子が次の標的になるかもしれないし、それを恐れて「悪いことだ」とわかっていても言えないのは非常によくあるケースです。

でも、32人の半数以上が「いじめってどうなの?」と集団で思うようになれば、いじめをしている数人が間違っていると浮き彫りになります。なんとなく「あれをそのままにしておいていいのか」と残りの大多数が思えば、気づけば「いじめをしている子が悪い」空気がクラスに広がります。

32人のクラス全体の雰囲気を良い方向へシフトさせれば、いじめをしづらくなるのではないか、ということです。

傍観者は悪なのか

しかし実際はどうでしょう。いじめの問題ではよく「傍観者」について触れられます。私個人としては、「傍観者もいじめをしている人と同じ」という意見にはあまり賛成できません。

上記で説明した通り、ひとりで立ち向かっていくのは難しいし、勇気がいります。自分が標的になるのが怖いというのは、子どもが持つ当然の感情です。

いじめの加害者に1人でアプローチしていくのは、子どもにとっては大きなリスクを伴うのです。経済学の観点から見ると「人はインセンティブに従う」とよく言われます。ビジネスでは、業務がうまくいったりノルマを達成したりすると報奨金(ボーナス)などを出す方法、いわゆる成功報酬、成果報酬です。動機付けや刺激を与えるとよりいっそう強く動く、頑張れると受け取れます。

ところが、いじめでは傍観者であった一人が立ち上がり向かっていこうと思えるインセンティブがありません。それどころか、自分にまわってくるのではないかという恐れやリスクのほうが強いのです。

いじめている人が悪いのだと、クラス全体がいじめをなくそうという方向に大きなうねりのように動かないと難しいのです。

そこで、先ほどの公衆衛生学の話に戻りますが、ポピュレーションアプローチがそのひとつの方法になるのではないでしょうか。

要するにクラス全体の雰囲気が、いじめはダメだとなればいいのです。大多数の子ども達がいじめをする人に「いけないことだ」と言えるように「数の力」が必要なのです。

欧米ではさまざまないじめ予防プログラム(グループワーク)が導入されています。グループワークのような方法もクラス・学校という集団においては効果があるはずです。授業時間に余裕のない学校現場でいじめ予防のためのまとまった時間を作るのが難しいことは承知していますが、それでもいじめ対策として「グループ」で取り組むワークショップを取り入れて頂きたいなと思っています。

数の力というのは実に大きいのです。

歴史もまた、振り返ってみれば「ひとりの独裁者に対して、大勢の民衆が向かっていく」ことで時代が動いた事実があるではありませんか。

圧倒的多数が「いじめのないクラス」へと向かう流れを

いじめは「ひとり」の問題ではなく、これからは「数」を意識することも必要なのではないでしょうか。傍観者という大きな数のグループが、「なんかさ、これってヤバくない?」「あれ、ひどすぎるよね」。

そんな意識に動かされ、クラス全体がいじめを排除しようとする、そんないじめ予防・いじめ防止のアプローチ方法も有効ではないかと思います。

「圧倒的多数の傍観者を集めよ」とは、いじめをしている加害者を見つめる多くの瞳が、加害者を認めない雰囲気を作り上げていくことです。傍観しているようにみえて、その多くの傍観者がじりじりと「いじめはいけないんだ」「あれはよくないことだ」といじめの加害者に対して、見えないプレッシャーをかけ、「いじめがないクラスがいい」とクラス全体がいじめをやめよう・やめさせようという空気感に包まれたら、いじめが減るのではないでしょうか。

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