人生4度目の収入90%減 伝説の91歳「ラストサムライ・ガイド」が語る、コロナ危機

浅井 佳穂 浅井 佳穂

 サムライショー、空中リンゴ切り…。「ラストサムライ」として長年、ちょんまげ姿で外国人に日本を案内してきた通訳案内士が京都にいます。京都府舞鶴市在住のジョー岡田さん、91歳です。新型コロナウイルスの感染拡大で外国人がほとんど入国できない今、岡田さんを訪ねると「人生4度目の売り上げ90%減だ」と言います。しかし、悲観したり、落ち込んだりしている訳ではなさそう。そんな岡田さんに、過去の落ち込みから脱却した秘策と、今後の観光業への期待を聞きました。 

 岡田さんは幼少期を満州(中国東北部)で過ごしました。戦後は進駐軍のキャンプで働いたり、消防署勤務や企業重役の運転手などをしたりした後、1962年に通訳案内業の国家資格を取得。翌年から旅行会社でガイドを始めました。ガイド歴は今年で57年となります。

 旅行会社に6年勤めた後、岡田さんは独立します。そこで始めたのが、武道場と連携し、空手や剣道、柔道、居合道、合気道が見られる「武士道エキシビション」でした。

 しかし、エキシビションを始めて2年後、武道場から「君はいらないと切られた」(岡田さん)。理由は武道場が独自に外国人客を引き受けるからというものでした。

 「バー経営、傘売り、保険の販売…。合法で収入が得られるならなんでもやった」と岡田さんは振り返ります。しかし、ガイド業をあきらめることはありませんでした。

 そのころ、外国人のリクエストの一つに「日本人の家を見たい」というのがあったそうです。そこで岡田さんは新しいビジネスを思いつきます。京都の中心部や郊外の人に頼んで家を見せてもらうホームビジットツアーです。外国人1人当たり2500円(当時)の料金でプランを売り出しました。

 ただ、強力なライバルがいたそうです。ほかでもない京都市です。市は無料でほぼ同じようなツアーを実施していました。

 ところが、岡田さんのツアーはヒットします。後には約20年で12万人を案内する人気企画となりました。

 岡田さんはその理由をこう明かします。「サービスが違った。京都市の見せる家は住人と居間で話をすることはできるけど、風呂が見られない。台所も見せなかっただろう。でも、僕のツアーは押し入れのふすまも開けてもらった。みんなの見たいものを一般化した」

 岡田さんはこうも語ります。「ぼくのモットーは『誠意と努力』。旅行業のサービスはやりすぎるということはない。現在の日本には、仕方ないからやってる接待が多くて誠意がない」。確かに、コロナ禍以前の日本の観光業を顧みると納得できます。

 居合刀の使い方を学び、空中でリンゴを切る「サムライショー」を始めたのも同時代。やはり、外国人観光客の喜ばせたいという一心からでした。

 1980年代後半には、円高という逆風が吹きつけました。このときすでに還暦をすぎていた岡田さんは、妻の実家がある京都府北部の舞鶴市に移ります。そこから数を減らしながらも、ガイドを続けました。

 3度目の落ち込みは東日本大震災です。この時に始めたのが、京都の商店街や寺社をめぐりながら歩く「クール京都ウオーキングツアー」でした。米国やオーストラリア、ヨーロッパの観光客を案内し、旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」で高評価を得ました。

 そして、このコロナ禍です。「2月下旬以降、ツアーの予約が99・9%ありません。だけど、目を開かされた。バーチャル・ツアーをやろうと思っている。バーチャル・ジャパンツアーです」。後輩ガイドたちとオンライン会議をするうち、オンラインを活用したツアーの可能性に気づいたそう。自分の半生を振り返りながら、日本の風物や魅力を伝える計画です。岡田さんの「ガイド魂」は今なお健在のようです。

 コロナ後の日本社会への提案がないか、岡田さんに聞いてみました。

 「神社仏閣の入場料、拝観料というとるのをね、10年間は値上げはしないでほしいね。今後、入場者が戻っても、コロナで少なかったころのことを思い出してほしい」。なるほど、それは確かにそうかもと思います。

 以前のインタビューでは2020年に死ぬと話していました。ご本人は「前は2020年までガイドができれば、と思っていた。今は(2025年に大阪に)万博が来るそうやと聞いて楽しみにしている。現金なもんや」とあっけらかんとしています。

 そんな夢に向けて「毎日トレーニングです」という岡田さん。なぎなたのような草刈り用の刃物を自作し、自宅前の空き地で草を刈りながら体を鍛えているそうです。4年後、万博に沸く関西で岡田さんの活躍を見るのが楽しみです。

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