コロナ禍に翻弄された今春、大勢の受験生が新たな門出を迎え、あるいは更なる挑戦にスタートを切りました。5浪の末、国立大の医学部医学科に入学した、ある男子学生もその一人。スムーズに言葉が出にくい「吃音症」でしたが、面接でも高得点を獲得していたことが試験結果の開示で判明。ツイッターで公開したところ、吃音症の当事者や受験生を始め「勇気をもらった」と反響を呼んでいます。
◇100点中90点
今月1日「再面接をキメて、二回とも名前言えなかったのに90/100点の面接点をいただいて本当に嬉しいです。多浪の方や吃音症の方にこの結果が届いたらいいなぁ〜と思います。感極まって泣きそうです」とツイートしたのは永井祐作さん(24)。リプライ欄には「人の痛みが分かる医師、貴方は国の財産です」「最先端技術の大学院生にもいます。吃音症は、個性。確実に理解者は増えていますよ!」との声や、吃音症の子どもがいる親、医学部を目指すユーザーらから「勇気を貰いました」といったコメントが続々と寄せられています。
――なぜ、結果を公開しようと思われたのですか?
「開示した理由は単純に点数が気になったからですが、面接点がかなり良かったのに驚いて…。昨今の医学部多浪差別のニュースや、吃音症のために面接を必要以上に不安に感じている方が多いと思い、昔の自分なら勇気をもらえるだろうと思いました。逆に手応えがあった教科の点が予想より良くても面接点が低ければ絶対公開しなかったと思います」
――面接の手応えは?
「全然ダメでした。面接終了後に再面接があったのですが、どちらも緊張して名前が言えませんでした。吃音症は調子の良い時と悪い時と差が大きく、試験場の扉を開ける瞬間まで自分がどれくらい喋れるか分からないので対策には時間を割いていたのですが…。だからこの結果には本当に驚きました。上手く話せなくても面接官が『君が言いたいのはこういう事だね?』と理解して頂いた事にも感謝しています」
――吃音症はいつから?
「小学校の生徒会選挙の演説時に内容を忘れてどもってしまい、全校生徒に笑われてしまった時から意識するようになりました。特にいじめられた経験はないものの、馬鹿にしてくる少数の人に視線を向けていましたが、どもってもちゃんと話を聞いてくれる方が圧倒的に多いと気付いてからは、悩む事は少なくなりました。吃音症でも私は人と会話がしたいと思いますし、開放的な性格だとよく言われます!」
◇「5浪いるらしいぞ」冷たい目にさらされ
そんな永井さんが医学部を目指したのは「大切な人が治療法の確立していない免疫の難病を患っていると知り、研究して治療法を見つけたいと思ったから」。研究なら旧帝大―と猛勉強するも結果は伴わず、2浪時には旧帝大の別学部に合格したものの諦められず、何度も挑んでは破れ続けました。
次第に世間の目も厳しくなり「いつまで夢見ているの?」「そもそもお前には何浪しても無理」と言われ、予備校の廊下で見ず知らずの人が「おい!!知ってるか、5浪いるらしいぞ!」「5浪とか頭悪すぎ」と噂するのを耳にする日々。「努力しても努力しても結果がついて来ず、4月には僕の方が成績が上でも秋か冬には抜かれていく。何も言わず予備校や寮のお金を出してくれた親を始め、周りの期待を裏切り続けることが苦しくて仕方なく、勉強から逃げた時期もありました。高校の同級生がいたら吐き気を感じたり、顔を隠したり、逃げたことも何度もあり、当時は本当に惨めで、自尊心はゼロになりました」と振り返ります。
それでも挑戦し続けられたのは、研究への思いと「家族や恩師、友人、音楽や本等のおかげ」と永井さん。アニメ「落第騎士の英雄譚」の「凡人が天才に勝つには、修羅になるしかないんだ」という言葉、ロックバンドback numberの「sister」などの音楽…。「恩師はいつも懇切丁寧に教え、相談に乗ってくれました。毎年12月上旬にはノートに寄せ書きを貰っていたのですが落ちるたび更新されて…。そこには友人からの『一緒に医者になろうな』といった励ましのLINE等も逐一印刷して貼り、辛くなるたび読み返しました」といい「浪人生活が長かった分、本当に多くの人や言葉に支えられてきました」と話します。
さらに、ターニングポイントになったのが、5浪の年に予備校で聞いた大阪大学大学院医学系研究科の熊ノ郷淳教授の講演でした。個別質問で悩みを打ち明ける永井さんに、熊ノ郷教授は「将来研究する上で、大学はあまり関係ない。どこに行くかではなくて何を学ぶかが最も大事。私の研究室には私立大学出身の優秀な生徒がたくさんいますよ」と返答。免疫分野で世界的に有名な研究者の言葉に永井さんは「旧帝大に固執していた自分を救ってくれた。大学名にこだわらず、免疫の研究を熱心にやっている大学院に進もうと思った」といいます。
永井さんのノートには今も、その時に熊ノ郷教授が書いた「研究の世界で待ってます」という言葉が残されています。熊ノ郷教授は研究の合間を縫って各地の予備校を訪れ講演しているといい、今回の取材に「この時期が一番勉強をし、悩み、最も感受性の強い時期。その時期の若者に言葉を届けられるのは何より嬉しい」と語り、「多浪でも吃音症でも活躍している人は大勢いる。彼も、そして多くの受験生たちも、この先悩むこともあるでしょうが、自分に合った分野を見つけ、進んで欲しい」とエールを送ります。
◇「成功とは失敗を重ねてもやる気を失わないでいられる才能」
6度目の挑戦で喜びを手にした今年の春。永井さんは予備校の恩師から「成功とは、失敗を重ねてもやる気を失わないでいられる才能」(チャーチル元英首相)の言葉をかけられました。両親は「傷付く息子に何もできない自分が悔しくて仕方なかった」と初めて胸の内を明かし、心から喜んでくれたといいます。もちろん、友人たちも。
今後の目標として「5浪した分、大学生活の6年間必死に勉強して院でリベンジすることと。また青春を取り戻すため、勉強、部活、恋愛とか浪人時代に大学生の友人がやっていたようなこともやりたい」と永井さん。「いつか患者を一人の人間として接することができて、他人の喜ぶ姿を自分自身の喜びにする医師になり、熊ノ郷先生を始め恩師、友人など浪人生活を支えてくれた全ての人たちに、生涯を掛けて恩返しをします」と力を込めました。