―そんな陽道さんが「歌」を口ずさんだ瞬間はどんな気持ちでしたか?
「息子が生後3カ月くらいのとき、散歩に行くことがありました。お正月の、雲ひとつない気持ちいい日。散歩していて、でもちょっと手持ち無沙汰で、なんとな〜く、息子の名前を呼んだんですね。いつき、いつき。気持ちいいなという感覚を声に込めて、い〜つき〜、とか。どんどん、息子の名前を、いろんな調子で呼んでいるうちに、息子が寝たんですね。『あっ、もしかして今、僕は歌っていたのか』と気づきました」
「歌は作るものじゃなくて、あふれるものなんだな、とこのとき知りました。縁遠いと思っていた歌が、いつの間にか存在していたことに、すごく不思議な気持ちになりました」
映画で自分の歌、息子の産声と初めて“出合う”
―映画の「絵字幕版」について。
「小指さんというアーティストが感じた歌を色や形にして表した絵を、“字幕”として流す試みです。これを見て初めて、僕は自分自身の歌と出合えたと感じて心が震えました。『あ、こんな色なんだ。確かにあのときの気持ち、明るかったな』『あ、こんなふうに声がとぎれたり、つながったり。でも、体感として確かにわかる』というふうに、自分の歌に聞き入る…もとい、見入ることができたのは、本当に得難い経験でした」
「妻の麻奈美も、お産のときの、子供がやってくる瞬間の声、子供の産声を“見て”、『ああ、こんな感じの声だったんだ。いろんな色や形が含まれていて、すごいな。産声、初めて、わかった』というふうに言っていました。子を迎えた聾者たちにとっても、我が子の産声とはどういうものかという経験に触れることができるのかもなあ、と思います」
歌は「すでに自分の中にあるもの」
―聾者にとって、歌や音楽はどのようなものなのでしょうか。
「聾者といっても、その人によって聞こえ方が全然違うので、それはちょっと語れないです」
「でも僕のように、音楽に対する強烈な苦手意識を持つ人はすごく多いと思います。聴者の音楽の押し付けになっているからだと思うのですが、この映画を通して、歌はすでに自分の中にあるものだし、1人の人間に対して、どうしようもなくあふれるものが、歌になっていく、ということを知るきっかけになれば、すごく嬉しいです」
―七尾旅人さんのような「音楽家」はどんな存在ですか。
「音楽に捧げている人、ですねえ。音楽を声として使っている人…でもまあ、魔法使いにしか見えないです。ライブでは、たった1人の声が何万人もの人を同時に熱狂させられるというのは、僕にとってはどう見ても魔法です。手話や写真は基本的に“一対一”なので」
―出産シーンも真正面から写していますね(本作はPG12)。
「それは麻奈美の意向です。彼女はすごい。映画を見た人から『お産のシーンよくOKしたね、すごいね』とよく言われるそうですが、彼女は『お産は隠すものではない』と考えています。『お産の形はいろいろあるけれど、できることならみんなで共有していくことがいいと思う。撮影されることに抵抗は全然ありませんでした』と言っていました。僕も同じです。それに、単純にきれいだと思ったし、見たことのないものを見た、という感動があったので」
◇ ◇ ◇
映画の撮影後、夫妻には次男の畔(ほとり)さんが誕生。樹さんと同じで、聴者という。子育てしていく上での不安を尋ねると、「とにかく死なせないようにする」。半面、楽しいことはたくさんあるそうだ。
「しみじみとずっと嬉しいのは、子供と手話で意思疎通できていることです。『子供とは話せないかもしれない』という不安を感じていたので、本当に嬉しい。1歳3カ月の畔さんも、もう手話をいろいろ覚えてやりとりできています」
そういえば映画の中で、樹さんが言葉を発する前から手話で自分の気持ちを表現する場面があった。「子供が言葉より先に手話で意思表示し始めるのが興味深かったです」と伝えると、陽道さんが少し首をひねり、こんな答えが返ってきた。
「手話も言語なので、『言葉より先に手話』というのはちょっと違うかな…。『話し声よりも手話が先』ですね!」
「うたのはじまり」は3月27日から京都みなみ会館、同28日から大阪のシネ・ヌーヴォ、神戸の元町映画館で公開予定。
「うたのはじまり」公式サイト https://utanohajimari.com/