生まれつき耳が聞こえない聾の写真家齋藤陽道(はるみち)さんと盛山麻奈美さん夫妻。そんな2人が聴者の息子を授かった。音楽教育への違和感などが原因で、いつしか歌を嫌いになっていた陽道さんの口からある日、ふと“子守歌”がこぼれ落ちる。それは息子を胸に抱いてあやしているときだった―。「歌の誕生」とでも呼びたくなるような美しい瞬間を捉えたドキュメンタリー映画「うたのはじまり」が3月から関西で公開されるのを前に、陽道さんが筆談での取材に応じた。
聾者にとって「歌」とは何か
河合宏樹監督が、言葉と身体をテーマにしたパフォーマンスに出演していた齋藤さんを見て、撮影を打診。当初、河合監督はどんな内容にするかは全く考えずにカメラを回し始めたといい、長男樹(いつき)さんの誕生や、陽道さんと音楽家七尾旅人さんとの「歌」を介した交流などを撮影するうち、映画は図らずも、「聾者にとって歌とはどんなものなのか」という深遠なテーマに踏み込んでいくことになった。
インタビューは、私たち記者2人が紙に質問を手書きし、陽道さんがパソコンに回答を打ち込む形で進められた。以下、やりとりを一部要約して採録する。
―これまでの「音」の経験は。
「生まれつき聞こえないです。感音性難聴。幼年期は補聴器をつけて発音訓練を受けてきました。小中は普通学校に通い、高校で聾学校に入ります。そこで手話に出合い、その後、20歳で補聴器をつけることをやめました」
「補聴器をつけると、音は聞こえますが、周囲の音がノイズのように一緒くたに聞こえてきます。その中から必要な音を選り分けていくということを無意識のうちにやっていました。とても疲れます…」
―「音楽」「歌」について。
「発音訓練ではとにかく聴者のようにきれいに発音できないといけない、という教えでした。でも、きれいに発音するのは難しく、また、音楽もみんなが楽しむようには聞けません」
「音楽の時間では、自分がずれた音を出しているらしく、みんなの怪訝な表情にぶつかる経験などが重なって、音楽の全てが嫌になりました。小学校低学年の頃です」
「いじめとかがあったわけではなく、みんなが僕に気を使っているのがわかるだけに、発音訓練してもまともに歌えない自分は何なのだろう、という自責につながりました」