関西が生んだスーパー・アーティスト横尾忠則
2012年にオープンした「横尾忠則現代美術館」(神戸市灘区)には、絵画約500点、版画約200点、ポスター約1300点、ブックデザイン約700点に及ぶ、超人的な仕事のコレクションが収蔵されている。同館で12月22日まで開催中の『横尾忠則 自我自損展 ゲストキュレーター:横尾忠則』では、83歳になる横尾が初めて自分の展覧会のキュレーションを披露する。
とはいえ、横尾忠則と聞いて、その人と作品をうっすらしかイメージできない人は多いだろう。あらゆる表現様式に取り組み、かつ作風のぶっ飛びぶりもあり、彼の全容把握は、アートに強い人でさえ困難だ。ここはまず、ドンばしょりで、横尾ヒストリーをおさらいしたい。
破格のマルチタレント&交友録、YMOへのお誘いも
1936年兵庫県西脇市に生まれ、神戸新聞のカット画常連入賞者を経て、神戸新聞社に入社。20代からグラフィックデザインを手がけ、田中一光とともに草創期の広告業界で活躍。アングラ演劇のド派手な宣伝美術で一躍カルチャーアイコンに。版画やデザインで海外でも高い評価を受ける一方で、少年ジャンプの表紙、エッセイ挿絵、テレビ、映画出演、歌手と大衆メディアにも露出するという八面六臂ぶりを見せた。
交友関係は、三宅一生、細江英公、寺山修司、篠山紀信、宇野亜喜良、和田誠、ジョンレノン&オノヨーコ(書き出すと本当にキリがない)と、昭和のカリスマを総なめにする華々しさ。トリビアだが、レコードジャケットをデザインした『コチン・ムーン』の細野晴臣から、YMOメンバーに誘われていたという話もある。横尾の多忙さが理由で4人YMOは幻となった。ちなみに横尾は楽器が弾けない。