「MoMA」でグラフィックデザイナーとして初個展
横尾忠則の最大の功績は、1960年代、日本では「図案屋さん」的職業だったグラフィックデザインや、絵画より軽く見られていたシルクスクリーンやイラストレーションなどの商業作品で、欧米で高い評価を受けたこと。1972年には「ニューヨーク近代美術館」で、存命のグラフィックデザイナーとして初の個展が開催された。
価値の転覆やジャンルの横断ぶりも極まっている。アングラをハイカルチャーに、俗悪を前衛に。そして、テレビ番組や若者雑誌「平凡パンチ」上で、自分自身を「スター化」して見せるという、リアリティーショーのような「ハプニング」(パフォーマンス)まで演じてのけた。
「無責任に観る」が正解?「いい加減で未完」な横尾の絵画作品
スターデザイナーとして上り詰めた横尾忠則は、1980年にそのキャリアをあっさり捨てて「画家宣言」。大型のキャンバスにエキセントリックで混沌としたヴィジョンをぶつけ始める。ちょっと難解に見えるその作品だが、いくつかの鑑賞ポイントがある。
まず、モチーフは、少年時代から現在まで横尾をとらえた人や物事の反復。江戸川乱歩の探偵小説、UFO、ターザン、ビートルズ、インド、ハリウッド映画。とくに滝は、しつこく繰り返されるモチーフだ。
自然物から描かれる絵はなく、すべてが印刷物からの複製、模写。写真や漫画、西洋絵画など、異種、ときに対立する要素が絵の中に混じりあう。幼少より超常現象や終末観にどっぷり浸り、霊媒師や宇宙人というあだ名もついた横尾のヴィジョンは、一見、理解を寄せつけないエキセントリックさだが、実のところ、構えて観る必要は一切なさそうだ。
「僕の描く絵は実にいいかげんです。その上未完です。自分自身が少しでも自由でありたいと思うならいい加減になるしかないように思います」(著書『言葉を離れる』より)。
横尾は、精神的な探求として絵を描いてきた。だから、そこには観客を萎縮させるような主張やイズムはない。横尾のポリシーは、アート界にも日常にもあふれる「嘘っぽい真面目さ」を退けることかもしれない。
今回の展覧会のタイトル「自我自損」は、「自我にこだわると損をする」、という造語。過去作品に手を入れて文字通り「自損」させた作品には、常に自己否定を繰り返してスタイルを変化させてきた横尾の自由さが見える。さらに、初キュレーション展といいつつ、横尾はバラバラの作品をバラバラに並べ「キュレーションをしないキュレーション」で裏をかいた。
観客へのメッセージは「だから、どうぞ無責任に見てください」。
要約すると、「横尾忠則を観るときは、自我は置いとけ!」ということになりますか!
『横尾忠則 自我自損展 ゲストキュレーター:横尾忠則』 http://www.ytmoca.jp/