2023年、18年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神タイガース。この年、岡田彰布監督(当時)が「1試合に7〜8粒食べとる」と発言したのが…パインアメ!
この阪神優勝効果に伴い、「フルフルフル稼働で、もの凄いことになってます!」と、生産が追い付かないほど売れたと話すのは、大阪天王寺区にあるパイン株式会社会長・上田豊さん。今や年間4~5億個も製造される人気商品となったパインアメ。その誕生の裏にあった、創業者と菓子職人の波乱万丈の物語をうかがいました。
きっかけはどんぐりアメを「大きく見せたい」⁉
戦後間もない1951年。現会長・豊さんの父、保夫さんは菓子の世界で身を立てようと大阪・東成区に一軒家を購入し、そこを工場とした「業平製菓」をスタートさせます。
といっても、当時の主力は駄菓子屋に卸す「どんぐりアメ」程度。事業拡大のために、新たな一手が必要となっていました。
そこで閃いたのは、どんぐりアメを「大きくする」という発想。しかし、戦後間もない当時は食糧難により質より量が求められる時代。値段を上げれば誰も買わなくなります。
ここで保夫は、同じ量でアメを大きくする方法を思いついたのです。それは「アメを潰して大きく見せる」という奇策!
さらに、ただ大きく見せるだけでは安っぽく見えるということで、パイナップルの模様を付けることになりました。
当時、高級品で憧れの果物だったパイナップル。当時生のパイナップルはほぼ流通しておらずあるのは缶詰だけ、しかしこの缶詰もなかなか口にすることはできない。それが1円で味わえたら…。そんな庶民の夢を、平たいアメに乗せようと考えたのです。
しかし、パイナップル味のアメを開発しようにも香料はなく…りんご、みかん、レモンなど当時あった香料をミックス。そこに酸味を加えるなど、試行錯誤すること数ヶ月。本物の味を再現したパインアメ第1号が完成します!
瓶詰めして一粒1円で販売したところ…甘いものを求める人々の心をつかみ、生産が追いつかないほどの注文が殺到したのです。
類似品の出現で売上激減
しかし、売れ出してから1年ほど経った頃、パタリと注文が入らなくなってしまいます。この時、保夫さんが目にしたのは安価な類似品が店に並ぶ光景。さらに、その類似品は本物と比べても、一見優劣が分かるものではなかったのです。
類似品と区別できるようにしなければ…。保夫さんは本物のパイナップルらしく、アメの真ん中に穴を開けることを思いつきます。
工場の機械では穴を開けることは難しかったため…アメが少し冷めたところで、割り箸で穴を開けるという驚きの方法を取ることにしました。
最初は失敗も多かったものの熟練するとうまく開けられるようになり、類似品との差別化に成功。アメがより大きく見えるメリットも相まって、売り上げは回復します。
順調だったパインアメ製造でしたが、トラブルが発生。毎日の手作業で何万個の飴に穴を開け続けた従業員たちが、腱鞘炎を起こしてしまったのです。
機械化の必要性に気付いた保夫さん。大金をはたいて自動穴あけ機を購入し、大量生産を可能にします。
こうして売り上げを順調に伸ばしたパインアメ。
とはいえ、大手メーカーによる首位争いが繰り広げられていたキャンディー市場。到底追いつける状態ではありませんでした。
そこで、他社には真似できない新商品開発を決意します。