日本で開業4番目のケーブルカー“祝100年” 車両は3代目、発車メロディは松田聖子のあの名曲

小嶋 あきら 小嶋 あきら

 神戸市灘区の市街地と摩耶山山上をケーブルカーとロープウェイで結ぶ「まやビューライン」。そのうち1925年(大正14年)に開業した摩耶ケーブルは、2025年100周年を迎えました。3月20日、これを記念して出発式が開催されました。

摩耶ケーブルとは

 摩耶ケーブルが開業したのは1925年。日本で4番目にできたケーブルカーでした。そして現存する中では3番目に古い路線です。

 摩耶山忉利天上寺(まやさんとうりてんじょうじ)に参拝するための路線として建設され、その後1938年の阪神大水害、太平洋戦争、阪神・淡路大震災などを乗り越えて、今に至ります。

 摩耶ケーブル駅から虹の駅まで全長900mの路線で、高低差は312m。最大傾斜は28度40分、これは全国で6位の急坂だそうです。

 車両は現在、三代目。初代は開業から戦争中の休止まで、二代目は1955年の再開から2012年11月30日まで。その後摩耶ケーブル自体がリニューアル工事に入って、翌2013年3月30日にいまの三代目がデビューしています。

 実は筆者、国道43号を運ばれていくケーブルカーに遭遇したことがあります。2013年2月25日の朝8時半頃、尼崎辺りを西へ向かっていました。形状から、2005年に塗り替えられた二代目の車両と思われ、この時点で引退していたはずです。三代目が運行される前の月ですね。この時期にどこからどこへ運ばれていたのか、今となっては知るよしもありませんが、ちょっと面白い写真だと思いご紹介させていただきました。

出発式の様子

 9時20分、発車メロディーに使われている「赤いスイートピー」が静かに流れ、セレモニーが始まりました。ケーブルを運行するこうべ未来都市機構の山平晃嗣社長、まやビューラインサポーターの会の小林晋一代表世話人の挨拶のあと、新しくなったヘッドマークの除幕式。摩耶山からの夜景をイメージした「摩耶ラピス」と呼ばれる色を基調にして、何度もの廃線の危機を乗り越えてきた摩耶ケーブルを不死鳥にたとえた翼のモチーフがあしらわれています。

 その後、関係者と来賓を乗せた100周年記念最初の便が出発、無事にセレモニーは終了しました。

ひさしぶりの摩耶ケーブルで摩耶山エリアへ

 その次の便に、他の取材の皆さんと一緒に乗せていただきました。筆者はひさしぶりの摩耶ケーブルです。昨日までの寒さが少し和らいで、春の日差しが注ぐ摩耶山は幸せな景色です。

 中間地点ですれ違う車両を見ると、改めて傾斜のすごさを感じます。途中に現れる苔生したホーム跡は、なんのために作られたのか今となっては詳細は不明なのだといいます。急斜面を一直線にぐいぐい登っていくケーブルカーの車窓に、100年の歴史を感じます。虹の駅の直下、最後の登りがこの区間の最大傾斜。ほとんど壁のように見えるものすごい急坂です。平衡感覚がおかしくなりそうです。

 

 虹の駅から真下に見えるのは、旧摩耶観光ホテル、通称マヤカン。立入禁止で近づくことはできませんが、廃墟の女王とも呼ばれる廃墟好きの聖地です。またこの辺り一帯は1976年に焼失した忉利天上寺があったところで、その史跡もいくつか見られます。駅の西側からは神戸の街が一望。今日はあいにく霞んでいましたが、空気の澄んだ日であれば海の向こうに淡路島や阪南エリアが見えそうです。

 神戸は海と山に恵まれたコンパクトな都市で、市街地からごく近くに深山の趣のあるこんな場所があります。

 ふらっと訪れることができる身近な秘境とでもいいましょうか。これから春の行楽シーズン、まやビューラインで摩耶山にお出かけしてみませんか。

摩耶ケーブル駅までは「坂バス」が便利です

 住宅街の中に突然ある、といった印象の摩耶ケーブル駅は、周囲を含めてなかなか駐車場がありません。そこで、まやビューラインのダイヤに合わせてJR灘駅や阪神岩屋駅、阪急王子公園駅と摩耶ケーブル駅を結ぶ「坂バス」が運行されています。その名の通りこの辺りはとても坂がいっぱいのエリアで、駅から歩くと思いの外(地図上の距離よりかなり)辛いので、とてもありがたいです。まさに「坂バス、ありがとう」という感じですね。 

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