しかし、そこは合格率3%という難関。1年目はあっさり落ち、2年目は1問足りなかった。背水の陣で臨んだ3年目。全国模試で7番になり、それなりに自信はあったとはいえ、合格したときに「飛び上がった」というのも納得だ。
2006年9月に念願の事務所を開業。現在は再婚もし、16年3月には母校・市岡のコーチにも就任した。
「世代の違いもあって教えるのは難しいけれど、後輩には中途半端な投球やバッティングだけはしてほしくない。逃げてのフォアボールはダメ。腹をくくって、投げて打つ。結果なんてどうでもいい」
何度も沈み掛けながら逆境をはね返した逆転人生。それを支えたのは“市岡魂”だったか。「人生は自己責任。自分がどうなりたいか。どうしたいかでしょう」。現時点では市岡最後のプロ野球選手。達観したような表情が印象的だった。