湯灌(ゆかん)の仕事をしていると、こんなケースを体験することもあります。それは「自死」。自ら命を絶った方の体をきれいにして差し上げる仕事を、何度かさせていただきました。
ある日のことでした。湯灌現場の指示をする部長の顔つきが渋く、「酒井さん、この案件大丈夫かな?」と言いながら、わたしに案件書を渡してくれました。見ると「自殺」と記載されています。その頃はすでに湯灌の仕事に慣れてきていたので、すぐに「大丈夫です」。と答えました。しかし自死と聞いて身が引き締まりました。
葬儀社の方から案内された部屋は、古い長屋の1室で、4畳半ほどの広さでした。昼なのに暗く、少し気味悪さを感じたほどです。
布団に寝ていた故人は40代。赤い顔、首に紐の痕が残っていることが、自死を物語っていました。湯灌の準備を進めているとき、わたしはふと、ご遺族が誰もいないことに気づきました。葬儀社の方に訊ねると「みなさま2軒先にある故人のお父様の家にいらっしゃいますので、立ち合いは無しでお願いします」とのこと。湯灌にはご遺族が立ち会うことが通常なので、「なぜ立ち合わないのだろう」と不思議に思いました。ですが、無理に立ち合ってもらうわけにもいきません。
わたしは、医療用の肌色テープを使い、首の紐痕を消したり、メイクを施していました。死因が自殺の場合、葬儀の際、ご遺族や参列者の方々が故人に悪いイメージをもちやすいのです。しかし生前に近いお顔に仕上げることで、故人のイメージがよくなるため丁寧に行います。
ところが、赤い顔はなかなか健康色になりませんでした。良いお別れになるようにと願いを込めながらだったので、少し心残りでした。
やっと湯灌が終わり、出棺の準備が整いました。お父様の家で待機されていたご遺族に、「故人との最後のお別れとなるので、一緒にお棺を部屋から運び出して下さい」とお伝えすると、驚くことに「イヤだ」とおっしゃるのです。仕方なく、わたしたち湯灌師と葬儀社の方のみで、搬送車へとお棺を運びました。
そのとき、ご遺族の二人が「お腹すいたね、どこかへご飯を食べに行く?」と楽しそうにしゃべりだしたのです。この会話を聞いた葬儀社の方は、少し強い声で「神聖な出棺です。お話は謹んでください」と言いました。いつもは温厚な人なのですが、このときはさすがに感情的になったのでしょう。おしゃべりをたしなめるようなその声に、場は静まり、お棺が搬送車の中に入れこまれるガタンッという音だけが周囲に響き渡りました。
搬送車の中のお棺に黙とうを捧げていると、近所から美味しそうな食べ物の香りが漂ってきました。その方向に目を向けると、新築の家があり、家の窓から明かりがもれています。きっと帰宅する家族のために、夕食の準備をされていたのでしょう。
道路の向こう側には温かい家庭があり、こちら側では家族の見送りなく出棺をする家庭がある。この異なる二つの風景はとても対照的で、現実的でした。わたしは思いました。「人の生き方が『死に方』を左右するかもしれない」。あの男性は、なぜこのような最期を迎えなければいけなかったのだろう。生きているとき、家族と何があったのだろう…。深く考えさせられました。