パチンコ・パチスロやめられず30年、借金抱え、一時は失踪…50代男性は「ギャンブル依存症」とどう向き合ったか

長澤 芳子 長澤 芳子

ロサンゼルス・ドジャース所属のプロ野球選手である大谷翔平選手の元通訳・水原一平容疑者は2024年4月、司法当局に出頭しました。水原容疑者の弁護士は、「水原容疑者はギャンブル依存症の治療も希望している」との声明を発表しています。

水原容疑者のように多額のお金をつぎ込んでしまう事件のきっかけにもなり得る「ギャンブル依存症」とはどのようなものなのでしょう。実際にギャンブル依存症と診断された過去を持ち、現在は自身の事業に注力されているOさん(50代・男性)に話を聞きました。

ーはじめてギャンブルをしたのはいつごろで、どのようなきっかけだったのですか

今から30年ほど前、大学4年生のときでした。就職活動も終え、卒業に必要な単位も揃っていたため、特にすることもなく時間を持て余していたのです。そんなときに大学の友人に誘われて、パチンコに行きました。その頃はお金をあまり持っていなかったため、月に2、3回通う程度だったと記憶しています。

ただ、この時はよく勝っていたこともあり、パチンコを儲ける手段だと思ってしまったのです。

ー就職後もギャンブルは続けたのですか?

金融機関に就職するのですが入社当初は主に研修が中心で、土日はすることがありません。また給料が入るようになり使えるお金が増えたので、自然とパチンコに通う日が増えていきます。ただ、最初は勝つこともあったのですが、通う回数が増えるとだんだん負けが多くなっていきました。

負け始めた時点でパチンコをやめれば良かったのですが、勤め先で上司に叱られたりなどしてストレスを感じると、発散先としてパチンコを続けてしまいやめられませんでした。

また、金融機関に勤めていたため、信用が高く借り入れには困りませんでした。しかも消費者金融のキャッシングが銀行ATMで使えることもあって、借入に抵抗を感じず、借金でギャンブルをするようになってしまいます。一度、借金に手を出すと、その借金をギャンブルで取り返そうとしてしまい、負けてまた借金をするという悪循環でした。

ーギャンブルで借金はどれくらいになったのですか?

200~300万円に達しました。当時、妻も子どももいたのですが、何もかもが嫌になって一度失踪しています。流石にその時は、両親が飛んできて話を聞いてくれました。ただ、両親が借金を肩代わりして一括で返済したことから、信用枠が大きくなりさらに借金ができるようになってしまったのです。

ー両親に肩代わりしてもらってもやめられず、ギャンブルを続けてしまったんですね

はい。パチンコ台やパチスロ台を前にすると胸が焼けるような渇望感にかられます。勝ったら全能感に包まれ、負けたら立ち直れないくらい落ち込むということを繰り返していました。何度も家族を裏切り、借金を重ねているうち、妻から「ギャンブル依存症」ではないかと指摘されました。

自助グループを紹介されたのですが、その声に耳を貸さずギャンブル癖はとまりませんでした。さらに借金を繰り返してどうにもならなくなった状態で、はじめて自分が依存症だと受け入れられたのです。

ーそこから参加された自助グループではどのようなことをしていたのですか

その自助グループには週に1度参加していました。そこには自分と同じような依存症を抱えた人たちが参加しており、それぞれの経験を参加者の前で話します。参加するまでは「自分だけがおかしな人間なのでは」と自責の念にかられていましたが、ほかにも同じ経験をしている人がいると知り、ホッとしたのを覚えています。

2年ほどそのグループに通い、その間はギャンブルをやめることができていました。ただ転勤に伴い、自助グループに参加しなくなると、またギャンブルを再開してしまったのです。

ギャンブルを再開してしまうことを自助グループでは「スリップ」と呼んでおり、珍しいことではありませんでした。一度、依存症になると治らないといわれていたのですが、それを実感したのがこの時です。

ーこの時、ご家族はどうされていたのですか

じつは、家族のなかに依存症の人がいると「この人には私がいないといけない」という思いを持ってしまい、共依存になってしまうことが多いようです。なので妻は、依存症の家族と向き合う方法を学んでくれていました。

ー現在、ギャンブルをしなくなったのはなぜですか

妻が積極的に治療を促してくれたことが大きいです。そのおかげで自助グループ参加の再開や、医師のカウンセリングを受けることができました。

また、医者のカウンセリングで「別のことに熱中することで、ギャンブルの情報を遮断し、脳に余計な刺激を与えないようにする」という対策を聞き、独立起業に踏み切ったこともギャンブルをしなくなった理由のひとつでしょう。

起業当初は売上もあがらず、営業のために東奔西走する日々を送っていました。この期間は、忙しかったことだけでなく、売上も立たず資金がなかったため、ギャンブルから離れることができたのです。

起業後半年ほどで売上があがるようになりましたが、今度はお客様対応のために忙しくなり、ギャンブルのことを考える余裕がないまま現在に至ります。

ーもし、ギャンブル依存が続いていたらどうなっていたでしょう

考えただけでも恐ろしいですね。おそらく違法性のある借金に手を出し、その借金を返すために犯罪に手を染めていたことでしょう。それくらい正常な判断ができなくなるのが、ギャンブル依存症の怖いところです。

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