ライドシェア(一般の方が、自家用車を使って、有償で旅客運送を行う)に関する議論が高まっています。
タクシーのドライバー不足・高齢化、観光地や過疎地の移動手段の確保として、導入を求める声が出てくるわけですが、各所での議論を聞いていると、どうにも噛み合っていません。
賛成派は「海外では普及している」「便利」「タクシードライバー不足の解消」、反対派は「危険」「不安」「タクシー事業に打撃」といった話が多く、両者ともいまひとつ説得的・具体的でなく、また、主張の根拠とされる各種データについても、解釈が適切とはいえないものが多く見られます。
厚労省や金融庁等で法律を作り、「様々な事業を行う方への規制」をどう設定するかを考えてきた経験から申し上げると、本件の本質は、実はとてもシンプルで、「国民の生命安全を守るために、現行設けられている基準」を緩めていいかどうか、緩めるとするならば、「それでも国民の生命安全は十分守られること」が、きちんと説明できるかどうか、ということなのだと思います。
賛成派の「海外では普及している」「タクシー不足を補える」といったことは、「課題解決の選択肢として、ライドシェアを検討するべき理由」にはなっても、法律や制度論として「ライドシェアを解禁してよい合理的理由」にはなりません。
また、反対派の「タクシー事業に打撃」「緩い規制で入ってくるのは不公正」も、切実ではあるのですが、タクシー不足をどう解消するか、の解を提示できない中では、世の中からは単なる「既得権保持」と批判されます。
さらに、ライドシェアについて考えることは、現行のタクシー事業への規制が「生命安全を守るために、真に最低限のものであるか(=現行タクシー事業の規制緩和が必要なのではないか)」という問題とも密接にリンクしています。
またなんの事業であれ、規制に関する事業者間の公平性という観点も大切で、もし、地域や対象などを限定せずに、ライドシェアで、タクシーと全く同じサービスを提供できるとするのであれば、両者に課される規制は「同等のもの」にする必要があります。
こうした点に留意しながら、ライドシェア問題を考えてみたいと思います。
(本稿は、賛成・反対のどちらかに立って意見を展開するということではなく、錯綜・紛糾する現在の議論を整理し、各種データを適切に解釈し、「本件は一体、何を解決するべきであるか」をクリアにするという意図で書いております)
【データ評価の難しさ】
ライドシェアを巡り、国会やメディア等で用いられる意見やデータの解釈等にも、考察が必要と思います。
(1)『ライドシェアは、海外では当たり前に行われている』は本当か?
ライドシェアの取扱いが各国でどうなっているかについては、めまぐるしく状況が変わっていっていることもあり、現在、日本政府において「年内になんらかの取りまとめを行う」ことを目指し、最新状況の調査・検討が進められているとのことですので、その報告に依拠するのが正確だろうと思います。
私がここで提起したいのは、世界各国、ライドシェアをどう取り扱うかということについて、多くの議論があり、当事者はもちろん、所轄庁、司法や警察も関与しながら、時間をかけて、なんとか整理されてきている、ということです。
ライドシェアは、2014年頃から、各国で(勝手に)サービスが提供され始めましたが、当局や裁判所により、いったん、違法や禁止とされたケースや、事業者が自主的に撤退したケースもあります。タクシードライバー等による抗議デモや、ライドシェア車両への襲撃事件等が起きた地域もありました。
現在実施されている国や地域においても、例えば、自家用車の免許とは別の枠組み、ドライバーの研修や苦情受付、事故時の補償制度など、一定の規制の下で行われているケースが多く、基本的には「一切なんらの規制も無しに、自家用車で、自由に有償旅客運送を行えているわけではない」のだと思います。
ライドシェアについては、乗客のみならず、他の車両、通行人といった多くの人たちの生命安全にも関わるものであり、タクシー事業規制とのバランス等も含め、「他国で、今現在、行われているかどうか」だけではなく、そこに至る議論や経緯の内容も踏まえて、制度の在り方を検討することが必要だろうと思います。