デイリー後輩を東京へ送る~鉄爺、友と会う#9

還暦過ぎの単身赴任に7年ぶりのわが家帰還…

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 私の古巣であり、入社してから37年間を過ごしたデイリースポーツでは、2月末から3月初めにかけてが一年で最も大きな人事異動の時期にあたる。2月下旬の株主総会を受けて、社長、取締役、管理職、一般社員と、毎年それこそごっそりと動く。今年は2月24日付で発令の予定で、25日付のデイリースポーツには大きなスペースを割いて全容が掲載される。

 社長が交代する今回は、神戸、東京など拠点間の異動も多くなりそうだ。その中にデイリー時代37年間のかなりの部分を共に過ごした後輩も何人か含まれていることを知り、ふと思い立ってこちらから声をかけ、送別会を三件設定した。すでに二件は終わり、残る一件は三月に入ってからになる。

 開催済みの二件は、いずれも神戸から東京に転勤する後輩を見送る目的だった。ただ、同じ東京転勤とはいってもこのふたり、随分事情が違う。ひとりは60歳を超え、定年退職後の転勤、しかも単身赴任だ。もうひとりは逆に神戸での7年間の単身赴任生活を終えて東京の自宅に帰る。酒を飲みながらくだけた話を聞くと、それぞれに大変そうだ。

 自分自身、デイリー在職中に転勤は二度、経験した。最初は30歳の頃、広島支社への転勤。それまでのプロ野球担当という仕事はそのまま、担当球団が阪神タイガースから広島カープに変わった。この時は家族で移り、2年間を広島で過ごした。

 二度目は40代半ばの頃、東京本社への転勤だった。運動担当の出稿デスクという立場だった。このときは子供もそれなりの年齢になっていたこともあって、単身赴任を選んだ。この頃、デイリースポーツ東京本社は山手線大崎駅の駅前にあった。住まいは千葉県松戸市にあった神戸新聞の社宅。松戸駅まで歩くと15分ほどかかる場所にあり、毎日1時間15分ほどかけて会社に通った。初めて携帯電話を持ったのもこのときだ。

 何を張り切ったのか周囲に自炊を宣言し、毎朝炊飯器のスイッチを入れ、みそ汁、目玉焼きなどをこしらえていた。帰宅は深夜一時を過ぎるので昼食と夕食は外食になる。会社の1階にあったコンビニにはお世話になった。

もちろん朝食づくりが長続きするはずもなく、そのうち深夜帰宅のタクシーに乗る前に翌朝の朝食用のパンを買って済ませるようになった。

 今回、東京本部の最高責任者という重責を背負って大学時代以来となる東京での生活をスタートさせる後輩は「兄からはその年で転勤?しかも単身赴任で?と笑われました」と苦笑い。送別会を開いた2月16日の時点で独り住まいのマンションも決め、引っ越しの手はずも整っていた。江東区木場にある会社からは地下鉄でひと駅という場所を選んだという。聞けばそのエリアでは有数の飲食街のど真ん中だ。もっともアルコールにはまったく縁のない男、自分と違ってそちらの心配はない。

 もうひとりの後輩は、神戸での7年の単身赴任生活も板につき、定年までといわず定年延長も含めて65歳までこのまま気ままな独り暮らしを…と勝手に決め込んでいたようだが、そうは問屋が卸さない。東京本部の編集の責任者というこちらも重い立場を担うことになった。確か数年前には久しぶりに自宅に帰ったら自分の部屋がなくなっていたとぼやいていたのを思い出し、同情を禁じ得ない気持ちに。最後の神戸の酒を思う存分楽しんで、とふたりで夜の店をハシゴし背中を叩いた。

 残った三件目の送別会を済ませた後は、何件になるか逆に異動で神戸にやって来る後輩の歓迎会も催さなくては。苦労を引き継がせた先輩からのせめてものエールとして。

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