松江城の近く、静かな商店街にあるギャラリーで、角刈りにメガネの男性が絵筆をとっている。2012年まで島根・開星高校野球部監督を務めた野々村直通さん(66)だ。
同年3月で同校を定年退職後、画家兼教育評論家として活動する。「野球は完全にノータッチ。11年夏の甲子園で選手たちに最後の花道を飾ってもらい、未練なく辞めた」と、監督時代より柔和な笑顔で客を迎える。15年に似顔絵ギャラリーをオープン。誕生日などに贈る似顔絵や結婚パーティーのウエルカムボードなどを手がけ、展覧会にも出展する。
教育評論家として講演会やテレビ出演もこなし「時代にそぐわないかもしれないが、教育には体罰も必要」と熱弁を振るう。「たたく」ことが一概に暴力とは言えず、揺るぎない情熱で子供たちに向き合えば、しかることの意味が伝わると説くと、講演会場は大喝采に包まれるという。
教員時代は美術科担当。野球部員の卒業式には1人1人の似顔絵を描いて贈るなど、愛情を注いだ指導で定年まで勤め上げた。一方、グラウンドではめがねの奥の眼光をぎらつかせ、時には大声で選手を叱咤(しった)。「ヤクザ監督」と異名をとった。10年春の甲子園初戦で21世紀枠の向陽に1-2で敗戦し「末代までの恥」「腹を切りたい」と発言したことから辞任に至った一件は、大ニュースとなった。当時のことを今、どう受け止めているのだろう。
「あの場で言っちゃいかんとは思っています。でも負けると何もかも嫌になるんです。それくらい、勝利に執着していた。中国大会優勝校として、負けてはいけないというのがあった。相手を侮辱したつもりはなかったですし」と振り返る。敗退後に1年間、監督業から離れたが「自分から身を引いたとは思っていない」と信念は揺るがない。
11年に復帰し、夏の甲子園に出場。優勝した日大三に2回戦で敗れはしたが、8-11と苦しめた。「あれで吹っ切れました。あの2年間、地獄から天国というのはすごい経験」と、嵐のような2年間を振り返った。