昭和レトロガラスと呼ばれる古い窓ガラスがブームになっている。『型板(かたいた)ガラス』だ。1950~70年代まで当たり前だったこの模様つきガラスは、いまや国内では作られない“レアもの”。建替や解体時は迷わず廃棄されてきたこのガラスが、静かによみがえり始めている。
型板ガラス自体は令和の現在も普通に使われるものだ。浴室やトイレ、玄関、道に面する部屋など人目を避けたいが窓は欲しい箇所が定番で、多くは細かい凹凸でザラザラした表情をしている。
が、ここでの主役は“昭和”で“レトロ”な方。幾何学模様から草花モチーフまで多様なデザインを誇った、数十年前の型板ガラスである。
模様をつけたガラスは古代ローマまで遡るといわれるが、日本の型板ガラス生産の始まりは大正期。ガラス製造機のロールに模様を彫り、溶かされてまだ柔らかい材料がそこを通ると型がつく。透明ガラスと違って視線を通さず、光が拡散するようになるのだ。
日本の家は、昭和に入っても戦前までは蛍光灯もなく、照明が弱かった。窓のある部屋と隣室の境に型板ガラスの建具をはさむと外の光が奥まで届いて喜ばれたという。目線はさえぎられるから、部屋の独立性も保たれた。
さらに関東大震災後に増えた貸家建築やガラス建具にも多く使われ、広まった面もある。
同じようなガラスは、これ以前にも“スリガラス”や“結霜(けっそう)ガラス”があった。しかしどちらも一度できあがった透明なガラスにわざわざ膠を塗り、あとから剥がして表面を荒らすため、手間がかかって強度も低い高級品となる。
この弱みを払拭したのが型板ガラスだった。ガラスが完全に固まる前に模様をつけるから強度は落ちず、おまけに多少の泡や筋が入っても柄にまぎれて目立たない。安価で庶民に普及していく条件が揃っていたのだ。
そして時代は第二次大戦後、高度経済成長期を迎える。
政府の『持ち家政策』で日本じゅうに“夢のマイホーム”が建ちはじめ、型板ガラスはその一翼を担う存在になっていく。
シンプルな幾何学模様が中心だった柄は1960年代から加速度的に種類を増やし、草花や日常風景をモチーフにしたデザインが続々と登場、百近くまでふくれ上がる。
旭硝子・日本板硝子・セントラル硝子の国内主要ガラス3社は1年単位で新たな製品群を発売し、『型模様戦争』の名で業界史に残る熾烈な販売競争を繰り広げた。
この喧騒は“初めて我が家を建てる人々の気持ち”の投影でもあったろう。
畳の居間はリビングに、お勝手はダイニングキッチンへと変貌し、ピアノやソファのある応接間が登場したのもこの頃だ。住まいにかける情熱が、初めて目にする新しいデザイン窓にも注がれるのは想像に難くない。
メーカーも本気になった。
和風洋風の住宅から日本料理店までカバーしたデザインガラスの魅力は、モチーフのみにとどまらない。伝統的な切子の技法で鋭い線をつけたり、細かな線を彫り込むことで光の当たる方向により表情が変わるなど、当時極めて高度とされた技術も惜しみなく使っていった。
開発当初の「泡も筋も目立たない都合のいい廉価品」的扱いはもはやない。技術と意匠が百花繚乱する昭和レトロガラスの誕生だった。
しかしその終焉もまた早かった。
次々繰り出される新製品への対応に小売のガラス店は悲鳴を上げ、在庫も限界に達して、割れると同じ模様が手に入らない。エンドユーザーの心は離れ、視線をさえぎる役割もカーテンに取って代わられて狂騒曲は終わった。70年代後半の頃だ。
以降、国産型板ガラスの模様はシンプルな『霞』と『梨地』の2種にほぼ集約された。現在出回っているデザイン性の高いものは輸入品。モダンなチェック柄などが人気を博している。
だが、時代の申し子である昭和レトロガラスを「もう一度活躍させよう」という動きがある。人気のきっかけとなった雑貨ではない、もともとの窓や建具の姿で。国内屈指の板ガラス卸企業・マテックス株式会社がその事業に取り組んでいる。
つきあいのあるガラス販売店から倉庫に眠るものやリフォーム工事の際に引き取った古いガラスを譲り受けたり、廃業する店の在庫を引き継ぐなどして昭和レトロガラスの収集に努める。建物の解体現場に直接出向いてレスキューもする。
救い出したガラスを使った新製品を、今年4月から本格的に売り出した。
開発したのは室内窓だ。国産杉材の窓枠を自然塗料で塗装し、昭和レトロガラスをはめ込んでいる。回転窓のほか引き違いや嵌め殺しなどタイプやサイズも複数用意、特注にも対応する体制を敷いた。
住宅の間仕切り壁につけてあかり取り、オフィスのパーティションなどなど、さまざまな使い方を提案する。
事業を担当する営業推進部の田中華子さんと綿田茜さんは「住宅を新築するお客さまが木枠の室内窓としてほしい、とおっしゃることが多いですね。若い世代にとって昭和レトロガラスは逆に目新しいもの。豊富なデザインの中から、今のメーカーにないオンリーワンを選んでさりげなく“自分らしさ”を出せるのが魅力なのではないでしょうか」と話す。
注目したいのは、廃棄をまぬがれたガラスを別のものに加工(リサイクル)せず、もう一度窓にする(リユース)のが前提である点。加工の工程が少なければエネルギー消費量は下がり、環境への負荷は小さい。地球温暖化防止に対する企業スタンスの表現でもあるのだ。
これまで住宅や建物の窓ガラスは解体時に埋め立てられるのが常識だった。マテックスの松本浩志社長は「ビジネス上の価値がなかったからです。廃棄する方が安いし」と話す。
「けれどこれからは捨てられない時代です。とくにガラスは時間が経っても質も強度も変わらず残る、抜群の素材。支持してくださるお客さまと一緒にリユースガラスの市場をつくっていきたいですね」
食器やランプ、アクセサリーなど、アップサイクルされた昭和レトロガラスの雑貨は美しい。しかし本来の窓や建具として枠にはまった姿に感じるのは、えもいわれぬあたたかみだ。
それは、一生懸命働けば誰もが素敵な我が家を建てて心豊かに暮らせると信じ、夢に向かってユーザーもメーカーも一緒に駆け上がっていった稀有な季節、高度経済成長期が放った熱の名残かもしれない。
そんな記憶を抱いて、昭和レトロガラスは環境時代のキラーコンテンツになるだろうリユースの場に迎えられようとしている。奇跡の星・地球の岐路に立つ私たちに求められる「真の豊かさとは何か」の答えへと続くひとつの道標のようだ。