現代の街並みの中に残る中世集落の痕跡がSNS上で大きな注目を集めている。
きっかけになったのは大阪在住のワ田さん(@wa_da_da_wa)が「現場帰りにナビ見てて整然と区画整理された町中に村の痕跡現れたら気になって仕方ない」と紹介した長居公園(大阪府東住吉区)周辺の地図。
現在、長居東という町名になっている一帯だが、碁盤の目状に区画整理された整然とした街並みの中、そこだけやけに道路の入り組んでおり地域があり目立っている。長居東が市街化したのは戦後のことなので、たしかにこれはそれ以前から存在する集落の痕跡なのだろうか…
ワ田さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは
「旧農村が都市化されたが、元々の地主さんの家があった場所は、昔ながらの道路割が残っている場所。とてもいいですね。今になると、住宅地の中に旧市街地が保存されてるようにも見えて。」
「わかります!わたしも、歩いてる時は気が付かなくても、地図を見た時に鉄道に寸断された古道が見えた時にワクワクしました!」
「赤丸内に住んでました。古い大きなお家が固まっていて、道幅が狭い地域です〜5年位住んでましたが、よく迷ってました(笑)」
「そこは新堀城跡/堀村環濠跡です。石山本願寺の支城で、十河一行、香西長信が籠城してましたが、織田信長に攻められて落城しました。」
など数々の驚きの声や情報提供が寄せられている。
ワ田さんにお話をうかがってみた。
ーーこの村の痕跡に気付かれた経緯などをあらためてお聞かせください
ワ田:車に乗っていていつもと違う裏道を通った時に、明らかに道が古い一帯があることに気付きました。大学時代、(「生環境構築史」を提唱する京都府立大学の)松田法子研究室で建築を含め都市や集落のつくりを研究していたので、まちの見方が養われているのかもしれません。
ーーその後、現地は訪れたのでしょうか?
ワ田:現地は訪れてませんが、リプライの中で織田信長の時代に遡るほどの歴史があることがわかりました。
ーーこれまでのコメントや反響へのご感想をお聞かせください。
ワ田:これだけの反応をもらったことにびっくりしています。みんなこういうこと、ブラタモリ的なことにすごく興味があるんだなぁと。この場所に限ったことではなくてどんなまちにも道や地割、そうした地形から歴史がわかることが多くてまちを楽しむ手段の一つになります。「気になる!」とか「行ってみました」とかコメントいただけたのは嬉しかったです。
◇ ◇
この地域は長居東という町名が出来る1924年(大正15年)以前は「堀」「前堀」と呼ばれる大字で、コメントにあったようにそのルーツは戦国時代に三好党が立てこもり織田信長に対抗した新堀城にあるという説もあるようだ。
こういった中世集落の痕跡は長居東以外にも至る所に存在する。筆者もこういった地域を探したり訪れるのが好きなのだが、気になることがある時は同地域の各年代の地図を比較できるスマホアプリ「古地図散歩 時代を重ねるマップ」(合同会社四時舎)が便利。最新のアプリを使ってぜひ多くの方に歴史ロマンに思いを馳せていただきたいと思う。
なお、今回の話題を提供してくれたワ田さんは「まちの銭湯」が大好きで、日本各地の銭湯を訪れている。Twitterにもそのレポートが投稿されているので、ご興味ある方はぜひチェックしていただきたい。
ワ田さん関連情報
Twitterアカウント:https://twitter.com/wa_da_da_wa