神戸が誇る名建築として名高い神戸税関の庁舎。2007年には経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。…のだが、地元民として昔から薄々感じていたことがある。フォトスポットでもある東門(時計塔下)に刻まれている「神戸税関」の文字、もしかしてだけど、ちょっと下手なんじゃないか!?
同僚に書道十段の男がいるので、どう思うか聞いてみた。
「まあ、下手ですね。字のバランスが悪いですし、小学生のコンクールに出しても入賞しないんじゃないですか」
なんてひどいことを言う人なのだろう。
神戸税関に確認すると、この字を書いたのは第16代神戸税関長の保倉熊三郎氏。1927(昭和2)年に2代目庁舎が竣工した当時の税関長(ちなみに在任期間は1925年6月から1928年1月)である。揮毫の際のエピソードなどは特に残されておらず、「新潟県出身で前職が仙台税務監督局長」ということ以外は詳しい経歴も不明。となると当然、氏の書道の腕前に関しても手掛かりはないようだ。
書家の意外な評価!?「歴史的、文化的にも意義がある」
誰かが書いた字の巧拙をジャッジするほど野暮なことはないかもしれないが、それにしても、やはり名建築の「顔」にふさわしい字というものもあるのではないか? その観点から、この字はどうなのだろう。長年、神戸新聞の習字紙上展で選者を務め、日本や中国の書道史にも詳しい書家の牛丸好一さんに意見を伺った。
「隷書の気分が感じられる楷書で書かれていますね。まあ、素人っぽい字でお世辞にも上手いとは言えませんが、よく見ると磨崖文字(自然の崖や岩などに刻んだ文字)を思わせる堂々としたスケール感がある気もしますし、なかなか個性的で面白い字ですよ」
この見識の奥深さが「字が上手い(だけの)同僚」と「書家」との決定的な違いである。牛丸さんはさらに、当時流行していたという書体の影響も指摘する。
「昭和初期といえば、書道界や俳壇では荒削りでごつごつした六朝(りくちょう)風の書体が大流行していました。直接的ではないにしろ、この『神戸税関』の字からは、六朝書体が広まった時代の空気が垣間見える…と言えなくもない。税関長はおそらく、日頃から書や俳句に親しむ教養のある人だったのではないでしょうか」
牛丸さんによると、日本における六朝書体の隆盛に大きな役割を果たしたのは、洋画家で書家の中村不折(ふせつ/1866〜1943年)と、俳人の河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう/1873〜1937年)。不折は兵庫県西宮市の日本酒「日本盛」の商標を揮毫した人物で、碧梧桐は兵庫県芦屋市に住んでいたことがあるなど、実は2人とも神戸・阪神間とは縁が深いという。
「そういう歴史的、文化的な背景にまで思いを馳せると、六朝書体の影響を受けたかもしれない字が、ここ神戸港の玄関口にしっかり残されていることには大きな意義がある。不折、碧梧桐ともゆかりがある地元の宝として、これからも大切にしたいですね」
牛丸先生、それはさすがに持ち上げすぎなのでは…と思わなくもないが、見る人が見れば、こんな字(?)からもここまでいろんなことが読み取れるのだ。「なんか下手な字やなあ」で済まさないで本当に良かった…。もし立ち寄る機会があったら、是非じっくりと観察してみてください。完全予約制ですが、広報展示室の見学もできるようです。詳細は神戸税関のサイトで。