【あんぱん】ヒロインのモデル・暢さんはどんな人? 夫との出会いは高知新聞社 ジープに飛び乗って焼け跡の街を走り回る「ハチキン」な性格

ココハレ ココハレ

2025年3月31日から放送のNHKの連続テレビ小説「あんぱん」。アンパンマンの作者・やなせたかしさんと妻の暢さん夫妻をモデルに物語が始まります。

やなせさんはおなじみですが、暢さんってどんな人?

そんな疑問に応えるべく、やなせさんの故郷・高知では高知新聞の担当記者が暢さんの人生をたどり、記事で紹介しています。

高知新聞社はやなせさんと暢さんが出会った場所でもあります。きっと、朝ドラでも描かれるはず…!

ということで、朝ドラ大好き・ココハレ編集部員が高知新聞の“あんぱん記者”にインタビューしました。

高知新聞社は出会いの場…主演の今田美桜さん、北村匠海さんも訪れました

「あんぱん」はやなせさん、暢さん夫妻をモデルにした物語。戦前から戦後にかけての激動の時代に、逆境や失敗を乗り越えてアンパンマンにたどり着くまでが描かれます。

ヒロインの朝田のぶを今田美桜さん、夫となる柳井嵩を北村匠海さんが演じます。

2024年9月には高知県内でロケが行われました。

高知ロケに合わせて、今田さんと北村さんは高知新聞社を訪れました。やなせさんと暢さんが出会った場所ということで、当時の資料などを見学。今田さんは「(やなせさんと暢さんが)貴重な時間を過ごした、大事な場所だと伺っています」と語りました。

この時、2人をアテンドしたのが高知新聞の村瀬佐保記者。「あんぱん」の取材を担当しています。

「ジープに飛び乗って」「アグレッシブ」…戦後初の女性記者として採用された暢さん

暢さんは1946年に高知新聞社に入社しました。戦後初めて採用された女性記者2人のうちの1人でした。

出身は大阪で、父親が高知県の東部・安芸市の出身。暢さんは大阪の女学校を卒業したことが分かっています。

村瀬記者は「暢さんの資料はほとんど残されていません。特にやなせさんに出会う前の人生って、実はよく分からないんです」。やなせさんと出会う前に、高知生まれの男性と結婚して東京で暮らしていた時期もあるようで、夫は終戦直後に亡くなりました。

ルーツを探る中で、村瀬記者は暢さんのおいに出会いました。愛媛県今治市で菓子店を営む川上峻志(たかし)さん。「おばさんは気が強かったねえ。話題も広くて怖い物知らず」「『主人と同じ名前ね』とかわいがってもらいましたよ」と人となりを紹介しました。

暢さんは入社後、高知県政や高知市政の担当記者となりました。

やなせさんの入社は、暢さんの入社から3カ月後。入社試験の日、暢さんは受付や片付けを担当しました。受験者の中には「受付の女の子」と軽い扱いをする人もいたようで、当時の社内報に記録が残っています。

やなせさんは入社後、社会部から「月刊高知」の編集部に異動しました。ここで暢さんに出会い、一目ぼれ。暢さんのエピソードをこう書き残しています。

「ジープに飛び乗って焼け跡の街を走り回る、土佐の方言でいえば『ハチキン』というおてんばの性格」

「(自分と)反対の性格、アグレッシヴ(積極的)、きっちりとしていて努力家」

実際の人物をモデルにした朝ドラは、史実や時代背景を踏まえながら、物語としてどう描かれていくのが楽しみの一つ。

村瀬記者は「『あんぱん』では、やなせさんに出会うまでの暢さんが大胆に描かれるのでは」と話していました。

やなせさんと暢さんが奮闘した「月刊高知」編集部…ドラマでも描かれます

やなせさんと暢さんが一緒に働いたのが「月刊高知」の編集部です。「月刊高知」は地方紙では珍しい文化総合雑誌で、1946年から1950年にかけて、計49号出版されました。

やなせさんは「表紙からカット、挿絵、取材、座談会の司会、すべてやりました」と後に記しています。

暢さんは「速記の名手」で「ドイツ製の一眼レフカメラを持っていた」そうで、朝ドラでは2人を含めた編集部の奮闘も描かれます。

終戦直後の新聞社を描くにあたり、高知新聞社ではドラマの監修も引き受けています。

「『当時はどんな原稿用紙を使っていましたか?』『原稿はどんなふうに直されますか?』など、スタッフの方から熱心な質問が届きます。ドラマってこんなにたくさんの関係者に取材し、丁寧に作られてるんだ…と驚きます」と村瀬記者。

質問に答えるため、村瀬記者は社史や社報を調べたり、当時の社員らに聞き取りをしたり。

「朝ドラの参考にとお願いすると、皆さんキラキラした目で『あの時はこうだった』と教えてくれます。朝ドラの影響力って本当にすごい」

暢さんは「月刊高知」第5号の編集を終えると、高知新聞社を退社しました。暢さんがやなせさんに告げた言葉がこちら。

「先に上京して待っているわ」

かっこよさにしびれます!

入社試験を受ける人を取材!やなせさんの「漫画的発想」とは

やなせさんは高知県香美市で生まれ、南国市で幼少期を過ごしました。アンパンマンミュージアムも香美市にあり、高知新聞では香長総局(香南市)の記者を中心にやなせさんを取材してきました。

村瀬記者も香長総局時代の2003年、やなせさんにインタビューしました。アンパンマンの誕生30年を記念し、自作ミュージカル「涙のデュオ・新デレラ」の公演で帰郷した時です。

「もともとは取材する予定がなかったんですが、終演後に偶然ご本人に会えました。私はいきなりのインタビューで緊張したんですけど、高知新聞の記者だと名乗ると、『僕も高知新聞に勤めていたよ』と、気さくに応じてくださいました」

村瀬記者が印象に残っているやりとりがこちら。

――高知新聞の当時の入社試験は面白かったそうですね。

やなせさん「日曜市を取材して記事にせよという試験でした。日曜市を取材して記事にすれば普通。だから試験のために日曜市を取材している受験生を取材しちゃった。人と同じことをしてちゃ駄目。人と違うものを書かなきゃ」

「日曜市を取材する人を取材するというのは逆転の発想ですし、言われた通りにせずに面白みを加えるのは、漫画的な発想でもありますよね。私も発想を変えて記事を書かなきゃと思ったのを覚えています」

「あんぱん」の放送は3月31日(月)から。制作統括の倉崎憲さんはドラマの高知パートについて「上京するまで、漫画家になるまでを丁寧に時間をかけて描く」と話しています。

村瀬記者は現在、やなせさんと暢さんが携わった「月刊高知」を紹介するムック本の出版準備や、やなせさんと暢さんのエピソードのさらなる掘り起こしに力を入れています。

「子どもたちが大好きなアンパンマンの始まりが『あんぱん』でどんなふうに描かれるのか、私も一視聴者として楽しみにしています。一緒に盛り上がりましょう!」

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