JR芸備線・志和口駅前に7月24日、「りょうま駅長記念館」(広島市安佐北区白木町)が開館する。「りょうま」とは、同駅に住み着き、猫駅長として地元の人たちや観光客らに愛された猫。2019年に推定14歳で天国へ旅立ったが、死後3年が過ぎた今でも根強い人気がある。地域の人たちでつくる「りょうまを偲ぶ会」(中原英起会長、会員は現在30人)が「りょうま駅長の活躍を語り継ぎ、町おこしにもつなげたい」と、手作りの記念館を立ち上げることになった。
りょうまは2010年、同駅に現れた。いつの間にか駅に住み着き、駅を利用する乗降客にとても人なつこかったことから、次第に人気者に。住民の中から「この子は人を怖がらないし、顔も凛々しいから、和歌山のたま駅長のような猫駅長になってもらったらどうじゃろか」との声があがり、2012年11月、「りょうま駅長」が誕生した。
同駅は1日の平均乗降客数500人程度の小さな駅。りょうまは住民からプレゼントしてもらった制帽をかぶり、駅舎やホームなどを巡回したり、乗降客や観光客のお出迎え、見送りをしたりして駅で1日を過ごすのが日課だった。住民らはりょうま駅長を地域で盛り立てていこうとファンクラブ「りょうまを見守る会」(中原英起会長、現・りょうまを偲ぶ会)を結成。りょうまが現れたころからつきっきりで世話をしてきた中原さんは、駅舎内に「りょうま駅長の1日」と題したポスターや写真などを常設展示したり、りょうまの名刺、バッジなどのグッズを作ったりして、観光客を温かく出迎えた。
新聞やテレビ、雑誌などでその活躍がたびたび伝えられ、2016年4月にはりょうま駅長に会いに訪れた人が1万人に到達。「りょうまは全国からたくさんの人を呼んでくれただけでなく、地域の人たち同士の交流を深めるきっかけにもなり、『我が町の誇り』という人もたくさんいました」と中原さんは振り返る。
ところが、2018年7月に西日本豪雨災害が発生し、同駅も線路が浸水。JR芸備線は全線で不通となり、芸備線に乗ってりょうまに会いにいくことはできなくなった。その半年後の2019年1月、腎臓病を患っていたりょうまは体調を崩して入院。芸備線の全線運行再開を見ることなく、2月12日、中原さんらに見守られながら虹の橋を渡った。
中原さんによれば、駅長就任以来、りょうまに会うために同駅にやってきた人はのべ1万9300人にのぼった。1カ月後、地元公民館でお別れ会が開かれ約130人が集まった。同年7月には同駅前に石碑を建立。以後、年末にはりょうまのカレンダーを販売しているが、昨年末も発売とほぼ同時に即完売。今も地域の人たちの間では「いい猫じゃったなあ」と、りょうまを偲ぶ声が聞かれる。
「りょうまは訪れる人が増えても嫌な顔ひとつせず、一緒に記念写真を撮ったり、なでてもらったりしてもてなしていました。天国に旅立って3年以上も経つのに、今もこうして地域の方々に愛されている猫はなかなかいないと思います。私たちにはそんなりょうまの功績を称え、後世の人たちにこんな猫がおったんじゃと語り継ぐ使命があります。また、現在、芸備線は存続問題で揺れていますが、芸備線の利用者を少しでも増やして、過疎高齢化が進むこの地域を活気づけられれば。そこでこのたび、駅前の民家をお借りして、りょうま駅長記念館をオープンさせることにしました」(中原さん)
同館は7月24日にオープン。当日は午前10時から開館セレモニーがあり、区長など来賓の挨拶、祝電披露、くす玉割りなどが予定されている。館内にはりょうまが着用していた制帽、中原さんなどが撮影したりょうま駅長の写真、各メディアに掲載された記事などを展示。来館者にはうちわ、キーホルダーなどのグッズプレゼントもあるという。りょうま駅長の特大パネルと記念撮影ができるコーナーも。開館は原則、土日の午前10時から午後4時まで。開館時は偲ぶ会のスタッフが常駐する。
地域の人たちが協力しあって完成させた手作りの記念館。「新型コロナウイルス感染防止対策をしっかりとした上でお客さんを迎えたい。りょうまを知っている方は、ありし日の勇姿を思い出してほしいですし、りょうまを知らない方には、こんな立派な猫がいたんだと知ってもらえたら嬉しいです」と中原さん。
この夏、芸備線に乗って、ありし日のりょうま駅長を訪ねる旅はいかが。