上野千鶴子氏の著書、「在宅ひとり死のススメ」(文春新書)では独居高齢者の生活満足度のほうが同居高齢者のそれより高いというデータが紹介されている。老後はおひとりさまが一番幸せだという。けっして負け惜しみで言われているのではなく、大阪府の開業医、辻川覚志医師の行った調査結果を引用、紹介されている。
ただし、この調査対象者は大都市近郊の住宅地に住む中流のお年寄りであって相対的に恵まれた方たちだからだと言えるかもしれない。この本では在宅死を希望する方が増えている(70%近い)にもかかわらず、そのハードルは高く、さらにおひとりさまになるとハードルはより高いものと考えられがちだが、実はそんなことはなくタイトル通り「在宅ひとり死」は十分可能であると紹介している。「孤独死」には定義があって、これに該当しない在宅死が独居であっても可能だという意味だ。
さて、ここでご紹介したい本がある。「年寄りは集まって住め」著者:川口雅裕氏(幻冬舎ルネッサンス新書)だ。このなかで高齢者は「安全な家」で「回りに人がいる」環境で、「健康習慣」を身につけることによって幸福な長寿を手に入れることができると書かれている。各地の集まって暮らすケースをいくつか紹介してくれているが、要は「分譲型マンション」(大浴場・レストラン・ライフアテンダントのサービス付)での暮らしを提案したいのだろう。
「在宅ひとり死」と「集まって住め」は真逆のことを言っているようだが実はそうではなく、最期を病院や施設で看取られることや延命治療への抵抗というところでは共通した提案だ。「集まって住め」の著者も、分譲型マンションにおいて最期を迎えることは在宅死であって、自立と尊厳を保てる住み家として提案されているのだ。
私は、この「年寄りは集まって住め」のなかで「共同体という視点からみた高齢者の現状」の分析に共感したので紹介させて欲しい。以下引用させていただく。
「嫌で出てきた田舎のムラ。脱出したら今度は会社にムラがあった。そのストレスに耐え続けてようやく会社のムラから逃れ、故郷に帰ろうと思ったら、そこにはもう居場所がなかった。自分の居場所はどこにもない。」
思い当たる方も多いのではないだろうか。自分ごとであったり、親の世代がそうであったりするのではないだろうか。結果、世間(所属する共同体)を失った高齢者はマナーが悪くなったり、キレる高齢者になったりするかもしれないという。そこでどうすればいいかというと共同体への所属、世間とのつながりが求められるわけだ。
集まって住むのもけっして悪くはないが、一人暮らしでも地域とのつながりを保てば実現できることでもある。集まって住むより、一人暮らしが性に合っているという高齢者も当然ながらたくさんおられるだろう。この2つの目指すべきところは同じであり、そのための手段(暮らしぶり)が違った提案であるだけだ。経済的に許されるものなら両方を経験してみたって構わないと思う。「分譲型マンション」は希望される方に中古物件として売却も可能だ。私の場合は、気に入ったロケーションで賃貸ワンルームマンションに住み替えをしてみるつもりだ。