「出産に立ち会う うれしい うれしい」遺品の手帳に見つけた父の歓喜 親子のドラマに62万人が「涙」のいいね

竹内 章 竹内 章

「出産に立ち会う うれしい うれしい 萌ちゃん 萌ちゃん」。父の遺品の整理中に見つけた30年以上も前の手帳。和田萌さんが生まれた日のページには、「萌誕生」のメモとともに、隠しきれない喜びが書き込まれていました。「なにこのひねりのないストレートな表現。泣いちゃうじゃん。父の知らない一面を見たよ。」と和田さんが自身のアカウント(@moe_oh82)でつぶやくと、集まったいいねは62万超。反則級のこんな素敵なエピソードを家族に置いていくなんて…お父さん、SNS中が涙してますよ!

和田さんのお父さんが亡くなったのは5月2日。7年前に心臓の動脈乖離で倒れ、脳梗塞を併発し、半身まひと失語症が残りました。そして2021年12月に再び倒れ、意識を取り戻すことがないまま家族に別れを告げました。66歳でした。

手帳は他の年の分も含め、屋根裏部屋の箱にしまっていました。和田さんのお母さんが箱を開けると、手帳の他に、備忘録を兼ねた日記のようなノートが20冊あまり。20代の頃のお父さんが描いたイラストや日々の記録、感銘を受けた詩が書き写してありました。「父の字は読みにくいので、比較的書き込みの少ない手帳から見てみよう」とめくっていて出くわしたのが、件の書き込みでした。和田さんに聞きました。

「父は唐変木な人でした」

ー手帳をめくっていると…

「私が生まれた年はどうだったんだろう、と探しました。特に何か挟んでいたわけでもなく、他の手帳やノートと同じように保管されていました。読まれたくはないだろうけれど…でも私の性格上、読まずにはいられませんし、母も『処分しなかった父が悪い』と。私もそう思います」

ーそして、あの書き込みが…

「父が書く文章は小難しい感じのものが多かったので、『なにこれ!素直!!!』と泣き笑いしちゃいました。喜びを素直に表現する人ではなかったので、驚くよりも笑いに近かったと思います。母も涙を浮かべて大爆笑してました。『よっぽどうれしかったんだねぇ』と。」

ーお父さん、今頃バツが悪そうに頭をかいているかもしれませんね

「家具職人の父は規則正しく生活し、自宅を兼ねた工房の掃除から一日が始まり、仕事終わりも掃除をしていました。道具の整理整頓も徹底していました。仕事以外では本やお酒が好きな人で、父が母以外の誰かと出かける姿を私はほとんど見たことがありません」

ー職人気質な方を想像します

「一言で表すならば、唐変木。友人も多くありませんが、テーマを決めて本を読んでおり、知識の豊富な人でした。世界を旅することはあまりしてこなかった人ですが、世界をよく知っている人と思っていました。ストレートに愛情を表現されたことはありません。私が学校に行く際も、私が家を出て1人になる後ろ姿を窓から覗き、それで何かあった時は異変を察知する…というような、やっぱり唐変木な人ですね」

ーそのエピソードもお父さんらしいと感じます

「勉強しろとかは言われたことなく、小学校の時にいい点をテストで取ったら『こんな学校のテストでいい点取るなんてろくな人間にならない』と言われたことがあります。きれいごととか世間体とか、そういうものが大嫌いだったんではないかと思います」

休日、父と娘は連れ立って映画館へ

幼い頃から和田さんとお父さんの外出先は、映画館、レンタルビデオ店、古本屋が主でした。休みの日といえば映画を見るのが常で、新旧問わず、SF、恋愛もの、B級から大作までありとあらゆる映画を並んで鑑賞しました。お父さんはゴジラや特撮ものがお気に入りだったといいます。

高校生の和田さんが当時付き合っていた人と「猿の惑星」の新作を見に行くと、劇場でお父さんと鉢合わせしたことも懐かしい思い出です。「旧作の「猿の惑星」は父と一緒に観ていたので、ちょっと気まずい気持ちでした」と話します。

テレビ番組の製作会社に入社した和田さんは、映像ディレクターとしてNHKや民放の多くのドキュメンタリー番組を手がけました。初監督をしたドキュメンタリー映画「であること」(2021年公開)は、LGBTQと呼ばれる性的少数者の当事者らとの対話から「普通とは何か」を問いかける作品です。

ー映像の道に進んだことについてお父さんは

「多分うれしかったんじゃないでしょうか。でも『うれしい』とは聞いたことはなく、『おまえみたいに平凡に生きて来た世間知らずが務まるほど楽な道じゃないぞ』と言われました。その時は『フン、やったるわい』と思ったことは覚えています」

ー…その場面を想像してしまいます

「あの言葉は、今の仕事が辛くなるとよく思い出します。こんなところで辞めてたまるもんか、と思うので、ある意味で支えになっているのかもしれません。劇映画をやりたくて東京に出ましたが、次第に人間を撮るドキュメンタリーに魅了された根本には、父のような何かを黙々と表現する人や、わかりにくい人を、面白く撮りたい、というものがあるような気がします」

あの手帳は今

手帳は今、お父さんのお骨が納められた棚の下にしまっています。和田さんは当初、この手帳だけを持って仕事場の東京に戻ろうと考えましたが、「なんだか一冊だけ離してしまうのも」と実家に置いてきました。次回の帰省の機会に別のページなどをじっくり目を通すそうです。

病で倒れた後、家具こそ作ることは難しくなりましたが、お父さんは大好きな映画を毎日のように見ていました。「働けなくなっても、うまくしゃべれなくなっても、確かに父は父でした。66歳は早いかもしれませんが、父は私たちに覚悟する時間をきちんと与えてくれ、穏やかな気持ちで終末を迎えられました。死はもちろん寂しいことですが、ちょっとだけほっとしていて、最期に父の話題でバズるなんていうこともあり、母とは『これも笑い話の一つになるね』と話しています」

和田さん家族を思い出の日に戻してくれた手帳の書き込み。お母さんは「最期にお父さん、時空を歪めていったわ」とつぶやいたそうです。     

ドキュメンタリー映画「であること」トレーラーはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=UCOeivxQXBw

「であること」のInstagramはこちら→https://instagram.com/being_dearukoto?igshid=YmMyMTA2M2Y=

「であること」のTwitterはこちら→https://twitter.com/dearukoto_being

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