懐かしくて、ほのかに昭和…全国のドライブインがどんどん減っている説 まもなくお別れ「名阪上野ドライブイン」

小嶋 あきら 小嶋 あきら

 「ドライブイン」という言葉、最近あまり聞かなくなりましたね。もしかするとほのかに昭和を感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。この春、関西で有名な名阪上野ドライブインが閉店するということで、その前にちょっと訪ねてみました。

高速道路が整備されてドライブインが廃れていった

 昭和の時代、今ほど高速道路があちこち整備されていなかった頃には、国道沿いにたくさんドライブインがありました。特に厳密な定義があるわけではないようですが、広い駐車場があって食事ができる施設ですね。元々はアメリカが発祥だったといわれていて、モータリゼーションが進む中で自然に日本にも広まっていったのでしょう。看板のデザインとか植栽とか、どことなくアメリカっぽい雰囲気の施設が多かったように思います。ハイカラなヤングが瓶入りのコカ・コーラを飲んでるようなイメージでしょうか。

 そんな中でも特に規模が大きなところは、大型のトラックや観光バスなども立ち寄り、トイレ休憩や食事、土産物の買い物など日々の移動に欠かせない施設として賑わっていました。

 全国各地に高速道路が延びてくると、国道の交通量が少なくなって、ドライブインは徐々に寂れ始めます。高速道路にはパーキングエリアやサービスエリアがあらかじめ設定されていますし、もちろん道路脇にお店を作るわけにもいかないのでドライブインは進出できず、どんどんその数を減らしていくことになったのですね。

 それに加えて1993年以降には、一般道上の公的な施設として「道の駅」が現れて、ますます状況は厳しくなっていったようです。

 いま郊外の国道などを走っていると、かつての大型ドライブインの廃墟を目にすることがしばしばあるのではないでしょうか。栄えていた時代を知っている世代には、なんとももの寂しい景色です。

名阪上野ドライブインが閉店します

 名阪国道は、大阪と名古屋を最短距離で結ぶ国道25号線のバイパス道路です。1965年に開通しました。高規格幹線道路と呼ばれる自動車専用道路ですが、高速道路ではなく一般国道です。サービスエリアやパーキングエリアもありますが、高速道路に比べてインターチェンジがたくさんあり、通行料が無料で乗り降り自由なので、インター脇にドライブインも出店できる条件が揃っていました。

 名阪上野ドライブインが開業したのは、そんな名阪国道が開通した翌年、1966年です。名阪国道大内インターチェンジに隣接した、バスや大型車を含めて200台以上が止められる広い駐車場を備えていました。レストラン、軽食コーナー、土産物屋のほか、中華料理店、ホルモン焼きが有名な焼肉料理店もあります。ほぼサービスエリアのような役割を果たしていて、以前はガソリンスタンドも併設(隣接してただけ?)されていましたが、これはずっと前に廃止されたようです。

 時折小雪の舞う1月の平日、ひさしぶりに訪ねてみました。店内に入ると、土産物屋では閉店セールが始まっています。レストランには閉店特別メニューがありました。入り口の近くに開店当時からこれまでの写真も展示されていて、改めて「本当に閉まってしまうんだなあ」という寂しさを感じました。

 新名神が開通して、さらに接続する道路が整備されたことで名阪国道の交通量が減ったこと。慰安旅行が廃れるなどで観光バスがあまり立ち寄らなくなったこと。そんな最近の流れの中で、またひとつ老舗ドライブインが消えていくのですね。

 筆者は以前、バイクで名阪国道を通って名古屋へ向かうことがよくありました。天理から大きなカーブで登っていくと加速車線が短くてこわい高峰のサービスエリアがあって、さらにしばらく行くと屋根に巨大なアホウドリが乗ったドライブインが見えて、五月橋のサービスエリアを過ぎて、大内で一旦降りて給油して名阪上野ドライブインで休憩して、というのがいつものルーティンでした。これらの施設がもう今は全部無くなってしまったのですね。そのかわり「針テラス」という大きな道の駅ができたのですが、これもまた最近の流れですよね。

 閉店まであとひと月あまり。名阪国道を通られる機会があれば、ちょっと昭和を感じに寄ってみませんか。

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