「東大に入れた母親の教育法」「賢い子が育つ幼児期の躾」「成績トップの子の育て方」…こうした育児書や教育指南書は山ほどあります。だけど、その通りに出来なかったら? やる気はあったけど続かなかったら? 実際に超難関校と言われる進学校に入学させ、エリートコースを実現させたママも実際に見てきました。しかし、そんなことは私にはできませんでした。でも結論から言えば、「それでも子どもは元気に育つ」。子どもの育つ力、信じてみませんか?
本の読み聞かせは続かなかったけど…
まず、ほとんどの「天才児の作り方」では、いかに読書が大切かが説かれています。本好きの子は大抵成績が良いものです。小さい時から、本が好きになるように、そしてスキンシップのひとつとして「本の読聞かせ」は母親の必須スキルとなっていますね。
読み聞かせ、は、本当に親子にとって素敵なスキンシップです。できれば、毎晩必ず1冊の絵本を手にとり、子どもに読み聞かせしたいですね。
でも、私はできなかった。
わが子に本を読むよりも自分が読みたい本を読んでて「後回し」にしたり、夜になると疲れてベッドに入ると絵本は枕もとにポイッ、子どもと一緒に「寝落ち」してました…。
そうして育った長男はどうでしょう。現在社会人となった息子は、通勤が退屈だと言って、ベストセラーのミステリー文庫本を手にしています。週末は漫画三昧で、時には下の子のコロコロ(←小学校男子の愛読漫画雑誌)を手にしてゲラゲラ笑ってます。
いいのか、これで!…とは思うものの、経済新聞を読まない男子に育ったとしても、だからダメ男というわけでもありません!つい最近ですが、たまたま長男の書いた仕事のレポートを見る機会がありました。あれれ? けっこう上手に言葉を使っています。いったい、どこで覚えたのでしょうか。読み聞かせは途中で挫折したけど、普段の親子の会話や漫画雑誌からだって、様々なフレーズを自然と会得していたのに違いありません。
とはいえ、読み聞かせができるなら、やるべきです。これは断言できます。受験を考えるなら、「算数は塾でテクニックを教えてもらえば成績はアップする、でも国語の能力は簡単にアップしない」ことでもわかります。読解力というのは一朝一夕では身に付かない、少し厄介な能力です。
でも、「いや~、今夜はちょっと無理~」「酔っぱらっちゃったし、絵本読みたくないな~」…いいと思います。焦る必要はありません。だったら週末に一緒に絵本をひろげればいいし、パパが車の雑誌見ている横に子どもが寄ってきたら「これ、エンジンが新しくなったって書いてあるんだよー」そんな会話のやりとりだって、ひとつの「読み聞かせ」スキンシップと言えるのではないでしょうか。
「図鑑や辞書で疑問に答える」なんてできなかったけど…
これもまた、よく言われます。リビングには、図鑑や辞書、地球儀などを身近において、ニュースを見たらスグに疑問点を調べる。「アフガニスタンってどこ?」と聞かれたら、地球儀で場所を教える。うわー、すごいですね。理想的です。私だって、大枚はたいて図鑑購入しましたよ。上の子の時は、押すと場所が光るとかいう最先端の地球儀だって買いましたから!
ところが、子どもというのは一番忙しい時に親が簡単に答えられないような疑問をぶつけてきます。以前も小学生の下の子が餃子を包んでいる私に向かって「トランプっていう人が大統領になったら、どうしてこんなに大ニュースなの」と聞いてきました。いやー、微妙ですね。なんとなくの感覚で答えはわかっていますが、これを子どもに説明するのは難しいですね。
そして私は夫が帰宅する前に、餃子40コを包んでしまいたいのです。この質問に答えるには、アメリカの現在の経済的な状況とか、人種差別とか、ビッグマウスという言葉とか、選挙の予想結果と違う事に対する世界の反応とか、山ほどの説明を必要とします。で、私は座って、この時こそ「政治・経済」について語るべきだとは思いました。思いましたが、私の左手には餃子の皮が、右手は餃子のネタをすくっている状態ですから、「うーーん。いろいろあるんだなー、ともかく、まずは学校の宿題やっちゃいなさいよ」と話題転換して話をそらす始末です。
これは、教育の観点からいったら「正しくない姿」です。興味をもって質問した時こそ、正しく答えたことは子どもの知識として蓄積されていく事でしょう。でも、できなかったんです。だって、餃子作ってるから。
それで、どうでしょうか? だから、この子は社会に疎い、愚かな子に育つのでしょうか? 違います。
子どもは、自分が本当に興味がある事なら自分で調べます。今の小学生、3~4年生にもなれば、親が驚くほどネットを使って勝手にリサーチします。私が必要だと思ったのは、「ネットで調べることの全ては本当の回答ではないかもしれない」その事を教えなくてはと感じています。
子どもの興味にきちんと答えられなかったとしても「興味があるってイイネ!」と褒めてあげられたら、たぶんきっと、それだけも充分な気がします。「ちょっと自分で調べてみ~」でも大丈夫なんですよ。調べなかったら、そこまで子どもが興味をもってなかったという事。
知識の芽にたっぷり水をやれば、グングン伸びる。が、踏みつぶさなければ自然の力でやっぱり育つ。ほんの少し時間をさいて一緒に調べてあげられるなら、ぜひ。子どもの興味の範囲は大きく広がるでしょう。でも、答えなかったからといって子どもの世界が狭まるわけでもないのです。
生きる上で必要不可欠な「最低限の常識としての知識」それは食卓での普通の会話や、友達との付き合い、学校での勉強でそれなりに習得していきますから安心して大丈夫です。そもそも大人になって「北海道ってどこ?」という人はいません。釧路がどこかを言えなくても、北海道と札幌がわかれば「非常識」ではないでしょう。
「読み書きそろばん」は基本だけど…
これは、私なりに「もっとやっておけばよかった」と後悔している面はあります。そろばんでなくても、やはり教科書をきちんと読む、平仮名カタカナ漢字をしっかり覚える、単純な暗算をすんなり出来るようにする。学習の基礎となるものです。
子どもが3歳か4歳ぐらいの時に、ある先生がこうおっしゃいました。「数が100まで数えられて、一桁の足し算が出来るのも大事かもしれないけれど、数の概念を理解するほうが大切ではないのか」と。
計算ができる。漢字を書き順も含めてきちんと覚える。これは、全ての勉強の基本です。幼児期から学べるなら、学んで損はありません。でも、小学校に入ってからでも間に合います。1年生は「あいうえお」からスタートします。数字をドリルになぞって覚える所から始めます。この時点で既に「あいうえお」はおろか自分の名前を漢字で書けるとか、九九が出来るとか、そんな子は大勢います。でも、小学校の宿題でおくれることなく習得していければ、追いつくのは難しい事ではありません。
問題は、1年生の時に「当たり前に宿題をやる」習慣を身につけさせる事ができるかどうか、です。小学校の勉強は、4年生あたりで差がついてきます。そして高学年で一気に「出来る子、出来ない子」と棲み分けされてしまいます。
1年生の時にセットで出される宿題「音読・漢字ドリル・計算ドリル」は、働くお母さんとしては大変なところですが、きっちりやらせましょう。
ですが、幼児期に「歌を覚えるように」九九が唱えられたからといって、計算の概念が身に付いているわけではありません。繰り返すようですが、そうした訓練は小さいうちからやっておいた方がいいに決まっています。でも、出来なかったからといって「だから算数の成績が悪くなる」わけではないんです。
「成績が悪い子=バカな子」ではありません!
私は全く、ズボラな母親でした。上の子の時も、夏休みになれば「復習ドリル」なんぞを買い込んで、結局「やっておきなさいよ~」と放置プレイで仕事へ。帰宅して答え合わせをしてやればいいものを、「疲れた」「夕飯の支度が」「メールチェックをしなくちゃ」と始めの1週間で挫折しました。
そういうわけで、うちの子は有名進学校にも行けなかったし、六大学にも合格していません。ところで、だから、うちの長男はダメダメなのでしょうか?
いいえ。
矛盾するようですが、勉強はできる方がいいです。今だにやはり、日本では「偏差値の高い学校へ行き、有名大学を卒業する」方が、将来が安泰なのは事実です。というより、学力があれば「選択肢が広がる」のです。好きな事をできるだけの環境に身を置けるのです。私はこの点において、「頭の良い子、成績の良い子にする」ことの大きなメリットは感じます。いい大学にいけば、やりたい仕事に就ける可能性は高くなるからです。
でも、それはあくまで「確率」の問題なんですね。なぜなら、もっと大きな問題として「やりたい事」「好きな事」がわからない子も実に多いからです。
賢い子が育つ教育法。母親にとっては甘い密のような言葉です。でも「勉強法に絶対」はありません。スポーツだって一緒です。オリンピック選手を育てたお母さんの育児法をすっかり完璧にコピーしてわが子にやらせたら、やはりオリンピックに出られるようになるでしょうか? 可能性は「やらないよりは高くなる」としても、そううまくもいかないでしょう。
いずれにしても賢い子が育つであろう方法を、ママが続けられなかったらとしても「バカな子になる」わけがありません。
なぜなら、「成績が悪い子=バカな子」ではないから、です。それは、私たち母親が社会に出て働く中で、実は一番わかっている事ではありませんか? 成績が悪くても、成功する子どもは沢山います。「これだけを食べていれば痩せられる」というダイエット法が長続きしないのと一緒なんですよ。「こうすれば、賢くなる」そんな魔法は存在しません。
テクニックは必要です。出来るのなら、賢く育てるためにやってみるべきです。でも、出来なかったからといって後悔しなくて大丈夫です。
で、ウチはどうかって?
長男は、最終的に「自分の好きなこと」を仕事にしました。それは、とても幸せな事です。賢く、成績が良い子には育てられませんでした。だけど、生き生きと働く姿を見るのは、母として何よりの喜びです。そこにいくまで、どれほど私が焦り、後悔し、「毎晩読むって決めたのに、1週間に1冊ぐらいしか本を読んであげてなかったよな~」「音読も、面倒くさいとやった事にしてチェックつけちゃってたよな~」……反省の積み重ねでした。でも、今はこう思うのです。もしかしたら一生懸命仕事をする母の姿から、「好きなことを仕事にしたい」と学んでくれたのではないか——と。