調剤薬局へ処方箋をもっていって薬を受け取るとき、中で働いている姿をよく目にする薬剤師。関西で1500品目以上の医薬品を扱う調剤薬局を経営するSさんに、開業までのストーリーとお給料について聞いてみた。
薬に携わる人生のスタートはMRから
薬剤師は、調剤や医薬品の供給など薬事衛生に携り、医薬品全般に広い知識をもつ医療従事者である。
医療分野の仕事に就きたくて薬剤師を志したというSさん(50代)は、関西地方で調剤薬局を経営している。
「じつは父が、事情あって医学部を中退した過去をもっています。その話を子供の頃から聞いていたせいもあったのでしょう。でも僕は勉強が嫌いでしたから、医者になるという選択に具体的なイメージがなかったんです。でも医療分野の仕事には就きたかった」
私立大学の薬学部を卒業したSさんは、とある有名製薬会社に入社する。職種はMR(Medical Representative=医薬情報担当者)といって、医師などの医療従事者に対して医薬品に関する情報を提供しつつ自社製品を普及させるという、医薬品に関して専門的且つ高度な知識と営業スキルの両方が求められる仕事だ。だから薬剤師の資格は、大きな武器になった。
MRの仕事は医師との人間関係がとくに大事で、公私ともにかわいがってもらって信頼関係を構築する。旅行に連れて行ってもらったり、一緒にダイビングのライセンスを取らせてもらったりしたという。その当時の年収は、およそ500万円。
「同業他社だと、650万~700万円ぐらいですかね」
会社の主力商品が繊維で、製薬部門は事実上の別会社だったせいもあるかもしれない。
7年ほど勤めたあと、縁があって薬剤師として薬局に勤めるが5年で退職。次は医療系の広告代理店に転職。このときの年収が750万円ぐらいだった。
その後、別の製薬会社で再びMRとして働き始めるが、その会社が買収されることになった。全社員が集められて、いま退職すれば破格の退職金を用意する旨を告げられた。
「本当は、辞める気はありませんでした」
だが、提示された金額を見たSさんは、度肝を抜かれる。
「いつかは自分の薬局を開きたいという夢がありました。開業資金に足りる金額だったのです。会社を辞めたくはなかったけれど、ここでチャレンジしてみようかという気になりました」
隣に出店をもくろむ商売敵に直談判して諦めさせる
資金の目途が立ったといっても、簡単にすぐ開業できるわけではない。病院や医院の近くで、あるていど患者数を見込める場所を探さなくてはいけない。
SさんはコントラクトMRとして働きながら、開業準備を進めていった。コントラクトMRというのは、たとえば製薬会社が新薬を上市するとき一時的にMRを増やしたい場合に、2~3年の契約で派遣される増援要員のこと。
40代も後半にさしかかったとき、Sさんはある噂を耳にする。
「いま開業している場所の近くにある医院さんが、代替わりされたというのを聞いたのです」
これをチャンスととらえ、薬局をやるのに手ごろな物件を近くに見つけた。物件を押さえておくためだけに2年半の間、家賃だけを払い続けて準備を進め、いよいよ開業というとき事件が起こる。
「隣も空き物件で、ここと同じ不動産屋さんの扱いだったのですが、ある日、別の不動産屋さんの扱いに変わっていました」
調べてみると、中小のチェーン店が薬局を開こうとしていることが分かった。開業されたら万事休す。相手は財力も歴史もある企業だ。個人で太刀打ちできる相手ではない。
Sさんは諦めなかった。この場所での開業を断念してくれるよう、説得を試みた。
「僕はいろんな人に助けてもらって、薬局を開業するんです。このままいったらあなた方は、僕に協力してくれた人たちに対して印象がよくないですよ」
相手の態度は、思いのほか頑なではなかった。地域住民の心象を損ねるのは分が悪いと思ったのか、その日のうちに出店を断念したのだった。
そんな壁を乗り越えて、念願の独立開業を果たした。以後、経営は順調に推移しているという。
薬剤師の平均的な収入「ざっくりいうと、450万~650万円ぐらい」
取材のためSさんを訪ねたときは、経営が軌道に乗って安定期に入っていた。薬剤師と事務員あわせて数名のスタッフを雇って、日に40~50人訪れる患者さんに対応している。コロナ禍で、2020年に最初の緊急事態宣言が発出された直後はやや減ったが、さほど大きな変動はなかった。
「薬は必要ですからね」
ところでMR時代と比べたら、いまの収入はどうなのだろう。
「細かい数字はいえませんが、企業としての年商は『億』あります」
とはいうものの、やはり薬の仕入れ代が大きいらしい。個人の年収はいえないとしながらも、薬剤師の平均的な収入は教えてくれた。
「ざっくりいうと、450万~650万円ぐらい。もちろん個人差があります。一般のサラリーマンより少し多いくらいでしょうか」
意外に多くないというか、庶民的な印象だ。
仕事のやりがいを感じるのは、どんなときだろうか。
「薬剤師としては、多職種と連携してクオリティ-の高いサービスを提供することができて、患者さんから感謝の言葉と笑顔をいただいたときです」
Sさんは稲盛和夫氏の経営哲学を勉強しており、社員の物心両面における幸福にも貢献したいと考えている。
「会社の業務の成長だけでなく、社会人や人としての成長に貢献しつつ、働く環境もよりよくしたいです。会社としての利益を十分に確保できる体制を整え、今のような厳しいご時世でも昇給や賞与を出すため社員に還元していきたいと考えています」
最後に、これからの時代に薬剤師が果たすべき役割について、Sさんの考えを聞いてみた。
「医療連携ということが注目されています。ドクターをはじめとしてケアマネージャー、訪問看護師、ヘルパー、そして薬剤師もその中に入って多職種でチームを組んで、病院に匹敵するレベルのケアを在宅でやることが、今後は求められてきます。政府が、そのような方向へもっていこうとしているわけです。我々薬剤師も、積極的に提案をする。提案されたことに対して判断をするのは相手なので、薬の専門家としてできるだけの提案をする。そうすることによって周りの人たちから評価が出てくるはずだし、地域の多職種の重要な一翼を担う位置づけであり続けたいと思います」